(前回までのあらすじ)チューク島の韓国料理屋で、ツージーと名乗るおばさんに出会った私たち。話好きな彼女に、いろいろと教えてもらうことに。
ツージーさんの話は、いろんな方向にとぶ。
まともにきいていると、かなり疲れる。
そういう中年女性、日本にもいる。
試しに、彼女の話方を、できる限りそのまま訳してみる。
「わたしのおじさん、テンノーヘーカに言ったの、暮らしがたいへんだから、日本で働きたいって。でもテンノーヘーカ、ダメって言った。仕方ないからチューク帰った。チューク仕事ない。夏島はよかったよ、日本時代は。でもぜんぶアメリカ、爆弾で壊した。ブルドーザーで平らにした。畑もあったのに」
この調子でしゃべりつづける。とても貴重な情報なのだが、本当らしいことと、チューク人なりの考え方と、ごちゃまぜなのだ。
たいへんわかりづらい。
仕方ないので、ここでは、ツージーさんの話を、私なりに理解した話、としてきいて欲しい。
◆日本時代はよかった。
チュークでは、いまはモエン島が中心となっている。飛行場、銀行、スーパーマーケット、全てモエン島にある。
かつて戦前に日本がチュークを統治していたころ、中心地は夏島にあった。ツージーさんの島だ。
いまでは夏島は自然に帰っている。外から見ると無人島にしか見えない。
ツージーさんは、その島からボートでモエン島にやってくる。
バイト先も、郵便局も、みんなモエン島にあるからだ。
夏島は、昔はいまのグアムよりも栄えていた。
飛行場もあり、病院やインターナショナル・スクールなど、文化施設もあった。飲み屋街など、遊び場もあったようだ。
自動車が走り、畑には作物がたくさん実り、神社もあった。
あるとき、戦争がはじまり、とうとうアメリカ軍が攻めてきた。
さいごは爆弾で何もかも破壊され、道路や畑もみんなブルドーザーで平らにされた。
その終戦前後の頃には、たくさん悲惨な話があるのだが、それは次の機会にゆずろう。
ツージーさんが母親からきくのは、とにかく日本時代はよかった、と懐かしむ声ばかり。
誤解のないように断っておくけれど、日本統治といっても、国連から委任された正式な統治であった。国際的にも認められた統治で、暴力でむりやり支配した、というわけではない。
日本統治=軍国主義による横暴
と決め付けるふしもあるけれど、そうではない、平和そのものの統治もあったということ。
夏島には、当時、日本の外地からたくさん入植者が来ていた。外地とは、内地に対して、外部の日本領土のこと。
韓国、中国、沖縄から、たくさんの人が来ていた。その多くの人は、並々ならぬ苦労とともに、成功してもいた。
ツージーさんをはじめ、チュークの日系人の多くは、そんな外地の入植者の血筋を持つ。
それがまた、終戦前後の混乱の種にもなる。
つぎは、チューク人の記憶する、胸に痛い話をしようか。
(つづく)
