◀ 前話:第7話「奇跡その6~番外編・信じることの意味~」はこちら
初の挫折その1~あと数ミリで死んでいた~
奇跡の連続だった高校時代を終えて、
私は初めて親元を離れ、下宿生活という
新しいステージへと踏み出しました。
社会福祉、
特に非行について学ぶために選んだ大学。
同じ下宿にも気の合う友人ができ、
同じ学部にも仲間が増えて、
入学当初から
不自由のない大学生活を送っていました。
「あと数ミリずれていたら、
死んでいたか、
首から下が不随になっていた」
医者にそう告げられた時、
私は大学1年生の秋でした。
最初はクラブには入っていませんでしたが、
同じ下宿の先輩に勧められるまま、
合気道部の門を叩きました。
当時の武道系の部活といえば、
内側に虎とか竜の刺繍の入った、
膝まである学ランが制服の、
まさに「嗚呼花の応援団」の世界。
上下関係は厳しく、
先輩への言葉は「押忍」(はい)と
「ごっつぁんです」(ありがとうございます)
の2語のみ。
高校時代はバンド活動一筋でしたが、
子供の頃から
体を動かすことが大好きだった私は、
合気道の奥深さに
グイグイと引き込まれていきました。
毎日ヘトヘトになるまで練習を重ね、
部活が生活の中心となりながらも、
充実した日々を送って
約半年が経った頃のことです。
合気道の受け身の練習中でした。
真後ろに飛んで、首のあたりから畳に落ちる・・
その受け身は、
両手を畳に打ちつけることで
衝撃を逃がすのが正しい形でした。
しかしその瞬間、少し体が曲がってしまい、
両手がうまく使えなかった。
そのままもろに、
首から畳へと落ちてしまったのです。
経験したことのない「ず〜〜ん」という
首への重い衝撃。
しばらく起き上がれずにじっとしていると、
痛みはどんどん増してくるじゃないですか。
これはマズい・・・
そう感じた私は、
あの「押忍」以外の言葉を使って
先輩を呼びました。
「ダメです、動けません……」
同学年の仲間に支えられて、
なんとか起き上がったものの、
首から背中にかけての激痛に耐えられず、
顧問の先生に、
車で救急病院へ連れて行ってもらいました。
今思えば、
救急車を呼ぶべき事態だったと思います。
病院でレントゲンを撮り、
院長先生から告げられた診断名は
「第二頸椎亜脱臼
(だいにけいついあだっきゅう)」
聞いたことのない病名でした。
簡単に言えば、
首の骨がずれてしまった状態です。
そして「あと数ミリずれていたら、
死んでいたか、首から下が
不随になっていた可能性があった」
と知らされた時、 背筋が凍る思いでした。
四十数年前の事です。
当時は技術も無かったのか
手術はしませんでした。
治療は、両耳の後ろに穴を開けて
金具を頭蓋骨に引っ掛け、
その先に錘(おもり)を吊る「牽引」のみ。
ただ、頭の向こう側に錘を吊られたまま、
じっと寝ているだけ・・・。
病院に着いたその日から金具を取り付けられ、
入院は10月30日から12月14日まで、
約1ヶ月半にわたりました。
首に金具が刺さった状態では、
起き上がることはおろか、
寝返りさえ打てません。
一番困ったのは、排便でした。
6人部屋の端のベッドで、
自分では何もできない。
恥ずかしさと、においへの気遣いから、
毎晩みんなが寝静まった深夜にだけ
看護師さんを呼んでいました。
おしっこも尿瓶(しびん)を使う日々で、
それが置いてある時に、
お見舞いに来てくれた友人と目が合うたびに、
なんとも言えない気まずさを感じたものです。
毎日ただ寝るだけの1ヶ月半。
ずっと、なんで私だけ・・・・
と後悔の念と悲しさの毎日でした。
それでも生かされている、試練を頂いている
と感謝しなければ、いけなかったと、
今なら分かりますが、当時はそんな考えは
1ミリもありませんでした。
体重は10キロ近く下落。
退院の日、
私は自分の足で歩くことすらできませんでした。
その後も、
頭の後頭部まで覆う専用コルセットを
1ヶ月近く装着しての生活。
つけているだけで苦痛なそれを、
毎日身につけながら過ごした日々は、
今でも鮮明に覚えています。
退院後は実家に戻って1ヶ月ほど療養し、
コルセットが外れた2月頃にようやく大学へ復帰。
先生方に事情を説明しながら授業に出席し、
なんとか単位を取ることができました。
合気道部にも、1年ほどして籍を戻しました。
しかし——それが間違いの始まりでした。
大学3年の頃、部活の練習試合で
後ろ向きに投げられた瞬間、
首のあたりに「グキッ」という衝撃。
すぐに立ち上がれたものの、
じわじわと背中から首にかけて痛みが広がり、
やがて全く動けなくなりました。
救急車で運ばれましたが、
病院でできることは何もなく、
ただベッドで1週間を過ごすだけ。
1週間もすれば痛みは治まるのですが、
首への違和感だけは
この時からずっと消えることがなくなりました。
その後、なんとか就職も決まり、
大学を卒業することができました。
でも、頸椎亜脱臼の影響は、
ここで終わりではありませんでした。
むしろ、これが長い長い苦労の、
ほんの入り口に過ぎなかったのです。
クシャミをしただけで。
顔にクリームを塗る指の圧力だけで。
後ろからトンと押されただけで。
ギックリ首のようになって、
痛みで全く動けなくなる。
そんな後遺症が、この先10年以上も
私を苦しめることになるとは・・・
あの時の私には、
まだ知る由もありませんでした。
昭和ど真ん中のじーじ「ナルハラ」