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土日の朝、テレビ何見てる? 参加中
週末にテレビで放送された外国の昔話
樵(きこり)という、山林の木を切る事を職業にするある1人の人間がいた。
ある日、その樵の人が仕事をしていると、たくさんの卵を守る親の鳥1匹と蛇1匹が戦っていた。その蛇は卵を食べようとしていた。
その樵の人は、その戦いを見て、鳥や卵のために、蛇を斧で殺した。
ある日、その樵の人は、卵が孵り、巣立って、どこかへ飛んでいくたくさんの鳥たちを見送った。
ある日、その樵の人は、遠くの山林へ旅に出た。しかし、迷い込んでしまった。だが、山林の奥に、豪邸があった。訪ねると、美女が出て来て、泊めてあげる事を約束した。その樵の人は、食事をしながら、その豪邸に1人で住んでいると言う美女に話し掛けた。
樵の人「こんな山奥に住んでいても楽しい事はなかろう。あなたは若いし、これからたくさん楽しい事があるだろう。都会へ行けば良いのに」
美女「ここに住んでいる理由があります」
樵の人「何かね?」
美女「ある人を待っていたのです」
樵の人「どんな人ですか?」
美女「あなたです」
すると、その美女は、巨大な蛇の妖怪へ姿を変えた。
蛇「私は、あの時、お前に殺された蛇だ。お前をずっと待っていた」
その樵の人は、思い出し、平謝りして、懸命に命乞いをした。
蛇「窓から見える遠くの鐘が夜明けまでに鳴ったら、殺さずに逃がしてやる」
しかし、そこは山奥で、その鐘が鳴る事など今までなかった。だが、その樵の人は、祈りに祈った。
蛇「朝日が昇ってきたな。お前の負けだ」
すると、
ゴーン
とその鐘が鳴った。約束通り、蛇は消え、その樵の人は、気が付くと、元いた山中にいた。帰ろうと思い、来た道を辿っていると、その鐘が気になり、階段を上りながら、鐘を見た。鐘に血が付着していた。さらに、階段を上ると、鐘の下に、1匹の鳥が、頭に血を流し、死んで倒れていた。
その1匹の鳥は、その樵の人があの時に助けた親の鳥で、卵を助けてもらった代わりに、自ら、命を犠牲にし、力の限り速い速度で、頭からその鐘にぶつかって、その鐘を鳴らし、命の恩人であるその樵の人を助け、恩返しをした。
この事に気付いたその樵の人は、その鳥を抱えて、階段を下り、地面へ埋めてあげようとした。しかし、その時、死んでいるその鳥が、天へと舞い上がっていった。
その樵の人は、その鳥が神様によって報われたのだと思ったのでした。
この物語には、綺麗な話だと思ってしまうという錯覚があり、この物語は、本質的に、御都合主義的な話であり、人間の横柄が描かれている。
見た目は鳥より不気味だが、殺された蛇だって、あの時卵を食べて殺されなければ、卵を産んでいたかもしれない。
その蛇の卵を、他の生物は必要としていたかもしれない。
その鳥だって、他の生物の卵をつまみ食いしていただろう。
要するに、“食物連鎖”であり、全ての生物は、食べる食べられるという関係にあり、全て公平である。外来種が一部の場所の食物連鎖を破壊するというような問題は、時々、聞かれるが、それも人間が外来種を無責任に放してしまった場合も多い。基本的に、どの生物が、良い悪いなどない。強いて言うなら、人間が悪いのかもしれない。
その樵の人は、“蛇は見た目からも不気味だが、鳥はそうでもない”といった無知で勝手な判断をして、“弱いものいじめは良くない”という“えせ正義”を理由に、蛇を殺したのだろう。だから、
“フランダースの犬”の“パトラッシュ”のように、天へと舞い上がっていくその鳥にしがみつき、その樵の人は、殺してしまった蛇に謝るため、一緒に天へ舞い上がっていった。
しかし、死んだその鳥を食べようと飛んできた鷲や鷹といった肉食の鳥に、その樵の人は、襲われ、自由落下して死んでしまった。死に際、その樵の人は、食物連鎖の意味を痛感させられながら死にすぐ、再び、天へ舞い上がり、結局、直接、天で蛇に謝ったのでした。
おしまい