徳川家康と織田信長。どこで運命に差がついたのか。
徳川家康の感情は、のんびり、合理主義、結果主義、生命を愛する、優しさと冷たさが同居(優しさの方が強い)、
感情に従う、奇抜な、などです。
織田信長の感情は、せっかち、合理主義、結果主義、粗暴、優しさと冷たさが同居(冷たさの方がやや強い)、気分屋、
などです。
徳川家康、織田信長、ともに名のある武将の元に生まれた。
織田信長は幼少時より気性が荒い感情の持ち主だった。
尾張のうつけものと呼ばれたこともあった。
徳川家康は幼少時より大人しいという感情の持ち主だった。
家臣たちにも慕われ徳川家康は徐々に出世していった。
織田信長は戦において勝利を重ねていった。
奇人、変人である織田信長を慕う家臣達は信長を慕うというよりは崇拝していた。
やがて家康は信長に出会う。家康と信長の同盟が結ばれた。
まさに感情は共鳴し合うという証明ですね。
同じ周波数の感情の持ち主同士が出会ったということです。
二人とも家臣がいてその家臣を率いる立場にいたのですから。
この頃は信長も家康も存命でした。ですので二人の運命(感情)は
この時点で似ていたとも言えるわけです。
今川氏に対して信長は戦で勝ちました。
信長は戦に勝利しても当然という勇敢な感情の持ち主だったので
今川氏に勝利したというわけです。
まさに感情は運命を創造する。つまり運命(感情)が信長の人生を創造していったという
ことです。家康はどちらかというと和合ありき、和平ありきで進んでいくタイプの
戦国武将でした。でも信長は討伐ありき、戦ありきで進んでいくタイプの戦国武将でした。
織田信長はやがて本能寺にて自らが冷遇していた明智光秀により討たれ死んでしまいました。
一方、徳川家康は関ヶ原の合戦の後、天下を統一して徳川幕府を開きました(徳川家康自身の
晩年にです)。やはり運命(感情)は人生を創造したということです。
どういう感情の持ち主であるかということや、日々どういう感情を感じて生きているかということが
運命を、人生の内容を決めたのです。徳川家康と織田信長の運命の差、どこでその差がついたのか。
それは、どういう感情の持ち主であるかというや、日々どういう感情を感じて生きているかということが
その差を決定したということです。あなたはどういう感情の持ち主として生きていきたいですか?。
そして日々どういう感情を感じて生きていきたいですか?。それらのことは、あなたの運命、あなたの人生の内容を
決定します。