9月1日火曜日晴れ

 

今日から3階ベランダの屋根付けと防水工事が始まった。

3階のベランダから2階に 雨漏りをしたからだ、

家の形状から そうなるのかな、コンクリートも古びてきたし。

 

備忘録続き、、

昨日の、父の思い出もチューリップ先生だけの記憶の話だからね。

少し違うかもしれないが、記憶があるうちに残しておこう。

 

チューリップ先生の両親がパパのご両親と一緒に写っている写真がある。

これはいつの写真かなと思うが

1993年の来阪でなく、

1997年くらいにまた大阪に来た時 ではないかと思う。

足は悪いがまだ歩けていたのだね。

思い起こせば、

1995年 阪神大震災のちょうどそのころに 姉のご主人が急病心筋梗塞で他界した。

父も母も悲しみは深かった。両親も葬儀に参列 そのあとも姉の家に滞在していた。

 思い起こせば、父は歩けていたね。

 

 

その後、明るい話題で、、

父は名誉の叙勲を受けた。その時は名古屋にも出かけ

皇居で行われた叙勲式にも参列して、とはいっても、念のための車いす参列だった。

そのせいか、天皇にお言葉をかけてもらった。とのこと。

それもこれも、母が助けていたのだなと 今は感謝してもし足りないのだと思う。

両親二人で写った写真が誇らしげだった。

母は 作家物の着物を貸衣装で借りたようだ。とても似合っていた。

 

1997年、姉のご主人の3回忌にも参列していた。三人でホテルの和室に泊まった思い出がある。

その時に父に、長男が国立大学医学部を受けるというと うれしそうだったね

その後、思い出してみると

2000年の姉の義父がお亡くなりになり 葬儀に参列していたかは覚えてない。

チューリップ先生は参列したが その時に両親に会った記憶があまりないので、、

きっとそのころは 悲しいかなショボーン

母は、父を置いて横浜から出かけてくることができなかったのだと思う。

 

2002年の春横浜で会ったときは、室内は歩いていたが、機嫌が悪かった。

 

2003年、皆が横浜で集っていた時には笑顔も見れた。

それから。急激に悪くなったような気がする。

もっと近くにいたら、

と思う。切ない話だ。