中学受験でるでるシリーズ 室町時代 | 寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

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みなさん、こんにちは。今日は室町時代(むろまちじだい)についてお話しします。室町時代は、日本の歴史の中で約240年続いた時代で、多くの重要な出来事や文化が生まれました。わかりやすく説明するので、一緒に学びましょう!

室町時代の始まり

室町時代は1336年から1573年まで続きました。この時代の始まりは、足利尊氏(あしかがたかうじ)が鎌倉幕府を倒し、京都に新しい政府を作ったことから始まります。この新しい政府は室町幕府(むろまちばくふ)と呼ばれ、足利尊氏が初代の将軍になりました。

南北朝時代

室町時代の初めには、日本は南北朝時代(なんぼくちょうじだい)という戦いの時代に入りました。後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が吉野(よしの)に逃れ、南朝(なんちょう)を作り、京都にいる北朝(ほくちょう)と対立しました。南北朝の争いは60年以上続きましたが、やがて北朝が勝利し、南朝の天皇も北朝に合流しました。

足利義満と室町幕府の黄金期

室町時代の中でも特に有名なのが、三代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)です。足利義満は、幕府の力を強め、京都の室町という場所に立派な邸宅を建てました。この邸宅が室町殿(むろまちどの)と呼ばれたため、室町幕府の名前がつきました。

足利義満は、内乱を鎮め、貿易を盛んにして、経済を発展させました。特に中国の(みん)との貿易が重要で、日本からは刀剣(とうけん)や(どう)を送り、明からは(きぬ)や陶磁器(とうじき)を輸入しました。

応仁の乱

しかし、室町時代の中期になると、再び国内が混乱します。それが応仁の乱(おうにんのらん)です。応仁の乱は1467年から1477年まで続いた大きな内乱で、細川勝元(ほそかわかつもと)と山名宗全(やまなそうぜん)という二人の有力な武将が対立したことから始まりました。この戦いは、全国に広がり、多くの武士や農民が巻き込まれました。

応仁の乱の結果、室町幕府の力は大きく弱まり、日本は戦国時代(せんごくじだい)という新たな戦いの時代に入っていきました。

室町時代の文化

室町時代には、多くの文化や芸術が発展しました。特に有名なのが茶道(さどう)や(のう)です。

茶道は、茶を飲む作法や心構えを大切にする文化です。この時代に、村田珠光(むらたじゅこう)という人が茶道の基礎を作りました。茶道は、その後も発展し、今でも日本の伝統文化として続いています。

は、日本の伝統的な舞台芸術で、歌や踊り、演技を組み合わせたものです。能の演技は、面をかぶって行われ、ゆったりとした動きや独特の音楽が特徴です。室町時代に観阿弥(かんあみ)とその息子の世阿弥(ぜあみ)が能を大きく発展させました。

また、庭園(ていえん)作りもこの時代に盛んになりました。特に有名なのが京都銀閣寺(ぎんかくじ)の庭園です。銀閣寺は、八代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)が建てたもので、美しい庭園が特徴です。

戦国時代の始まり

応仁の乱以降、日本は戦国時代(せんごくじだい)と呼ばれる戦乱の時代に入りました。戦国時代には、多くの大名(だいみょう)たちが力を競い合い、全国で戦いが繰り広げられました。

特に有名な大名たちには、織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康(とくがわいえやす)といった人物がいます。これらの人物たちは、それぞれの方法で日本を統一しようとしました。

室町時代の終わり

室町時代の終わりは、1573年に織田信長が15代将軍の足利義昭(あしかがよしあき)を京都から追放したことによって始まります。これにより、室町幕府は滅び、日本は新しい時代に入りました。

まとめ

室町時代は、日本の歴史の中で約240年続いた時代で、武士が主導する政治が行われました。足利尊氏が幕府を開き、足利義満が幕府の力を強めましたが、応仁の乱を経て戦国時代に突入しました。この時代には、茶道や能といった文化が発展し、日本の伝統文化に大きな影響を与えました。

みなさんも、室町時代の歴史をしっかりと学び、日本の文化や歴史について深く理解しましょう。これからも、歴史の勉強を楽しんでくださいね!