中学受験でるでるシリーズ 飛鳥時代 | 寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

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みなさん、こんにちは。今日は飛鳥時代(あすかじだい)についてお話しします。飛鳥時代は、日本の歴史の中でも特に重要な時期で、多くの変化が起こりました。わかりやすく説明するので、一緒に学びましょう!

飛鳥時代の始まり

飛鳥時代は、6世紀の終わりごろから8世紀の初めごろまで続きました。この時代の名前は、奈良県の飛鳥という地域が政治や文化の中心地だったことから来ています。飛鳥時代には、いくつかの大きな出来事や重要な人物が登場します。

聖徳太子と改革

飛鳥時代の初めに、聖徳太子(しょうとくたいし)というとても賢い人物が現れました。聖徳太子は、天皇を助ける役割を持つ摂政(せっしょう)として、政治を行いました。彼は、当時の日本を強くしようと、たくさんの改革を行いました。

まず、十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)を作りました。これは、役人たちに守らせるためのルールで、協力して国を治めることの大切さを説いたものです。また、中国の進んだ文化を取り入れるために、遣隋使(けんずいし)という使者を隋(ずい)という国に送りました。これによって、日本は中国の優れた技術や文化を学びました。

大化の改新

聖徳太子が亡くなった後、日本では再び大きな変革が起こりました。それが大化の改新(たいかのかいしん)です。645年に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって、当時の権力者である蘇我氏(そがし)を倒し、新しい政治体制を作りました。

大化の改新では、土地や人々を国家の管理下に置く公地公民(こうちこうみん)という制度が導入されました。また、班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)という土地を分配する仕組みが作られ、農民に対して一定の土地が与えられるようになりました。

仏教の広まり

飛鳥時代には、仏教(ぶっきょう)が大きく広まりました。仏教は6世紀の半ばに百済(くだら)という国から伝わりましたが、この時代に多くの人々に受け入れられるようになりました。仏教を広めるために、たくさんの寺が建てられました。その中でも特に有名なのが、聖徳太子が建てたとされる法隆寺(ほうりゅうじ)です。

法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として知られており、日本の建築技術の高さを示しています。また、飛鳥時代には四天王寺(してんのうじ)や薬師寺(やくしじ)など、多くの大きな寺院が建立されました。これらの寺院は、仏教の中心となり、多くの人々が仏教を学び、信仰しました。

飛鳥文化

飛鳥時代には、飛鳥文化(あすかぶんか)と呼ばれる独自の文化が栄えました。この文化は、中国や朝鮮半島の影響を受けながらも、日本独自の要素を取り入れて発展しました。

飛鳥文化を代表するものとして、仏像(ぶつぞう)や壁画(へきが)があります。例えば、法隆寺の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)や、飛鳥寺(あすかでら)の飛鳥大仏(あすかだいぶつ)は、当時の仏教美術の最高傑作とされています。

また、飛鳥時代には、絵画(えが)や彫刻(ちょうこく)も発展しました。例えば、高松塚古墳(たかまつづかこふん)の壁画には、美しい女性や動物が描かれており、その精緻な表現は当時の技術の高さを物語っています。

飛鳥時代の終わり

飛鳥時代の終わりごろには、日本の政治体制がさらに整備され、中央集権化(ちゅうおうしゅうけんか)が進みました。天武天皇(てんむてんのう)や持統天皇(じとうてんのう)といった天皇が即位し、国の統治(とうち)を強化しました。

また、この時代には律令制度(りつりょうせいど)という法律や行政の仕組みが整えられました。律令制度は、中国の唐(とう)という国の制度を参考にして作られ、国全体を効率的に管理するためのものでした。

まとめ

飛鳥時代は、日本が大きく変わり、発展した時期でした。聖徳太子による改革や、大化の改新、仏教の広まりなど、多くの重要な出来事がありました。また、飛鳥文化の発展により、美しい仏像や建築物が作られました。これらの出来事や文化は、今の日本にも大きな影響を与えています。

みなさんも、この飛鳥時代の歴史をしっかりと学び、日本の歴史について深く理解しましょう。これからも、歴史の勉強を楽しんでくださいね!