中学受験でるでるシリーズ 縄文時代から古墳時代 | 寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

心理学、脳科学、コーチングにも精通した
『生涯教育コンサルタント』の教育に関するお話しと
ちょっと生きるのが楽になる話

みなさん、こんにちは。今日は、縄文時代から古墳時代までの歴史についてお話しします。これらの時代は、日本の昔の生活や文化を知るためにとても大切です。わかりやすく説明するので、一緒に学びましょう!

縄文時代(じょうもんじだい)

縄文時代は、約1万3千年前から約2,500年前まで続きました。この時代、人々は狩り(かり)や(りょう)、採集(さいしゅう)をして生活していました。狩りは動物を捕まえること、漁は魚を捕ること、採集は木の実や野菜を集めることです。

この時代の名前は、土器(どき)に縄目(なわめ)の模様がつけられていたことから来ています。この縄文土器(じょうもんどき)は、食べ物を保存したり料理をするために使われていました。また、土偶(どぐう)という土で作られた人形も作られ、豊かな収穫(しゅうかく)や健康を祈るために使われたと考えられています。

縄文時代の人々は、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)という穴を掘って作った家に住んでいました。この家は、地面を掘って作られた床に柱を立て、草や木の枝で屋根を作るもので、寒さや風雨(ふうう)をしのぐことができました。

弥生時代(やよいじだい)

次に弥生時代についてです。弥生時代は、紀元前3世紀ごろから紀元後3世紀ごろまで続きました。この時代になると、大きな変化が起こりました。人々は稲作(いなさく)を始めました。水田(すいでん)を作ってお米を育てることを学び、定住する村ができました。

弥生時代の土器は、弥生土器(やよいどき)と呼ばれ、縄文土器に比べて薄くて硬く、形もシンプルになりました。これにより、料理や保存がさらに便利になりました。

また、この時代には鉄器(てっき)や青銅器(せいどうき)も使われ始めました。鉄器は農具や武器として、青銅器は鏡や剣(つるぎ)、銅鐸(どうたく)などの儀式(ぎしき)用具として使われました。銅鐸は、音を出すための道具で、お祭りや儀式で使われたと考えられています。

高床倉庫(たかゆかそうこ)もこの時代に登場しました。これは、お米などの食料をネズミや湿気(しっけ)から守るために、地面から離して建てられた倉庫です。

古墳時代(こふんじだい)

最後に古墳時代についてです。古墳時代は、3世紀後半から7世紀前半まで続きました。この時代は、古墳(こふん)と呼ばれる大きな墓が作られたことから名付けられました。

古墳は、権力(けんりょく)を持った王や豪族(ごうぞく)たちが埋葬(まいそう)された場所です。特に有名なのは、大阪にある仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)で、日本最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。この形は、前が四角で後ろが丸い形をしています。

古墳の中には、たくさんの副葬品(ふくそうひん)が置かれました。これには、鉄製の武器農具(たま)などがあります。これらの品物は、亡くなった人があの世で使うためのものでした。

また、この時代には大和政権(やまとせいけん)が成立しました。大和政権は、日本を統一しようとした最初の政権で、現在の奈良県を中心に勢力を広げました。大和政権の王は、大王(おおきみ)と呼ばれました。

古墳時代の終わりごろには、仏教(ぶっきょう)が伝わってきました。仏教は、インドで生まれた宗教で、中国や朝鮮半島を経て日本に伝わりました。このことにより、日本の文化や思想に大きな影響を与えました。

まとめ

縄文時代から古墳時代までの流れをまとめると、まず縄文時代には、狩りや採集で生活し、縄文土器や土偶を使っていました。次に弥生時代には、稲作が始まり、弥生土器や鉄器、青銅器が使われるようになりました。そして古墳時代には、大きな古墳が作られ、大和政権が成立し、仏教が伝わってきました。

これらの時代を通じて、日本の社会や文化は大きく変わり、発展してきました。みなさんも、これからの歴史の勉強で、さらに深く学んでいきましょう。