幸せじゃないといけないという呪縛から遠い国であるはずの日本の幸せ感 | 寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

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『生涯教育コンサルタント』楠木誠治です。

 

戦争で不安になる日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

幸福度調査で、低い幸福感ということがたびたび話題になりますが、

はたして幸福度が低いことは悪いことなのでしょうか?

 

なにか、幸せでないといけない圧迫感が私は好きではないです。

 

小さいことで幸せを感じられることができたり、

何気ない日常を過ごすことができるのは

もしかしたら今が最高に幸せではないからかもしれません。

 

最高に幸せではないし、毎日がすごくハッピーとは思えなくても、

毎日に悲観的で、ものすごくつまらないわけではなければよいかもしれません。

 

幸せでも不幸せでもない状態こそが、ある種最高なのではないかなと思います。

 

中庸ということばがあります。

 

どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。正。中道

と、ネットでは意味がでてきましたが、だいたいそんな感じです。

 

私はとってもすきな言葉です。

 

〇〇はだめだといわれると、本当にそうかなと思うことがあります。

最近は、高齢化もよいなと思うようになってきました。

 

同じように、幸福度調査も、

最近、あれ?もしかして日本が低いのは不幸なわけではないのではないか

そう思うようになりました。

 

今不幸ですか?と身の回りの10人に聞いてみてください。

不幸ではないと答える人が8人くらいはいるとおもいます。

 

もし、毎日楽しいことがなくて私は不幸だと感じている人がいたら、

幸せでないからと言って不幸ではないということを知ってほしいなと思います。

中庸でもいいんだよ。

 

いろんな当たり前を疑ってみると、

ちょっと気持ちが楽になることもあるとおもいます。