桜宮高校バスケットボールの事件以降スポーツ界は簿力指導根絶を目指すようになりましたが、体罰ができなくなった指導者からは、選手に舐められるという声がよく出て痛そうです。また、暴力の代わりに暴言が増えたとも言われています。

 舐められるのは、指導者がなめられるような存在だからだと思っています。

 思い出してみればわかると思います。中高生のころ大人をなめているのは普通だったのではないでしょうか? 

 怖いもん知らず、世間知らずの子どもが大人をなめているのは当たり前のこととして捉えて、舐められないようにすごいところを見せられれば、いいのではないかと思います。

 舐められないように、立場を利用して暴力・暴言を使わないでも、すごい人であることが示せれば舐められることはなくなるでしょう。つまり、暴力・暴言を使わないと舐められる指導者は、舐められるような存在であるということだと思います。

 そうならないためには、みずからも研鑽を積む必要もあると思います。