楽しい家庭学習 母勉プロデューサー
小室尚子です。
中三の娘が、学校から帰宅してすぐに、私のところに
報告に来ました。
報告に来ました。
「ママ、今日学校で「親について」の学活があったんだけど、
自分の親が好きじゃない人が大部分だった。
自分の親が好きじゃない人が大部分だった。
しかも、その人たちって
「中学になってから親に褒められたことがない」
「中学になってから親に褒められたことがない」
って言うんだよ。信じられない!」
娘は反抗期がありません。
どう見ても私のことが大好き。
一方、私はものすごく親に反抗した中学生でした。
口うるさい母親のことが大嫌いで、娘の友達と同じように、
褒められた記憶がありません。
娘が、私のことが大好きな一番の理由は、
私が娘の良いところを褒めないから。
私が娘の良いところを褒めないから。
私はいつも、
娘の存在そのものを褒めています。
朝起きたら「今日もかわいいね」
ご飯を食べたら「全部食べてえらいね」
学校に行くときは「いつも同じ時間に出てえらいね」
帰ってきたら「学校楽しかった?良かったね」
こんな感じで褒めています。
生まれてから一日たりとも、褒めなかった
日はありません。
我が子は、凡人です。
凡人を褒めるのに、「良いところを見つけよう」と思うから
褒めるところがなくて、困ってしまい、あげくに出来ない
ことにばかりが目についてしまうのです。
ことにばかりが目についてしまうのです。
赤ちゃんを育てるときは、どのお母さんもその赤ちゃんの
存在そのものを褒めますよね。
存在そのものを褒めますよね。
おっぱいを飲んだら「いっぱい飲んでえらいね」
寝て起きたら「良く寝たね。いい子だね」
笑えば、「笑顔がかわいいね」
オムツを替えるときでさえ、「いっぱい出してえらいね」ですよ!
それが、いつの間にか子供が成長するにつれて、
何か成果を出したときにしか褒めない、
成果主義になってしまうのです。
なぜ、愛する我が子に成果を求め、その成果の対価として、
褒め言葉を与えるようなことをしなければならないのでしょうか?
褒め言葉を与えるようなことをしなければならないのでしょうか?
いくつになっても丸ごと受け止めて「えらいね」では
いけないのでしょうか?
いけないのでしょうか?
私は、赤ちゃんのときの娘も、中学生の今の娘も
同じレベルで褒めています。
「中学生なのに、そんな低レベルのことで褒められない」
ですって!
ですって!
では、伺いますが、あなたはお子さんから何か成果を
出したときにしか愛されていないのでしょうか?
出したときにしか愛されていないのでしょうか?
「今日の夕飯は手抜きだったから、ママのことは嫌いになった」とか
「家の掃除が行き届いてないから、ママのことを見損なった」とか
そんな成果に対する代償として、愛をもらっているのですか?
そんな成果に対する代償として、愛をもらっているのですか?
そんなことはないはずです。
あなたのお子さんは、夕飯が手抜きでも、部屋が散らかっていても、
化粧をしなくて残念でも、少しぐらい太っても、いつも丸ごと
あなたのことを愛してくれていますよね?
化粧をしなくて残念でも、少しぐらい太っても、いつも丸ごと
あなたのことを愛してくれていますよね?
だ・か・ら!!
私は娘を、
毎日毎日褒め続けます。
私は娘を、
毎日毎日褒め続けます。
赤ちゃんのときも中学生になった今も、就職しても、結婚して
母親になっても娘を褒める基準はいつも一緒です。
母親になっても娘を褒める基準はいつも一緒です。
0歳も14歳も30歳になったときも、
「ちゃんとご飯食べてえらいわね」と褒め続けます。
「ちゃんとご飯食べてえらいわね」と褒め続けます。
それは娘の存在自体を褒めることになり、同時に
「あなたがいるだけママは幸せ」という、母親としての
私自身を誇りに思うことに繋がるから。
「あなたがいるだけママは幸せ」という、母親としての
私自身を誇りに思うことに繋がるから。
子供の良いところを褒めるのは、
もうやめましょう。
そうやって成果主義の褒め方ではなく、
子供がいくつになっても変わらない、
存在そのものを褒める「赤ちゃん褒め」を
意識すること。
それだけで子育ては充分なのです。
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