メルカリ、オークションで買い求めた大徳寺511世立花大亀老師の書画の続きです。
作品そのものに惹かれて取得したのですが、後でものすごいものだと分かりました。
老師がイランのパーレビ国王の招きで同国へ向かわれる飛行機の中で詠まれた歌、パキスタン上空で見たカラコルム・ヒンズークシ山脈の景色だったのです。
昭和59年1月の日経新聞連載『私の履歴書』でこのことを老師が紹介されていることが分かったときは、本当に“狐につままれたような”気分でした。
これも作品が気に入って取得したものですが、なんと寄贈先の襖に老師が即興で描かれた絵と同じものでした。
こちらの作品はその寄贈先のことを題材にしたものと確信はしていたのですが、なんと上の襖の裏側に描かれたものだったのです。
寄贈先で襖を見せてもらって、唖然!茫然!でした。
その他、順不同で並べます。
これも前回の柿本人麻呂の歌『東の野にかぎろひの立つ見えて…』を画題にしたもの。
千利休の高弟、山上宗二の歌。
大徳寺169世天祐紹杲(てんゆう しょうこう)師の書の写しで、禅語を解読する団体に読み下してもらいました。
修行僧が雲門禅師に「正法眼とはなんでしょうか」と問うたところ、師が「普」と答えたという内容とのこと。
”まくり”で取得して額装しました。
額装代も解読料も作品の代金より高いのは少々複雑な気分ですが、きちんとした形でお渡しせねばと…。
『模 牧谿』と読めるので、中国宋時代の僧 牧谿の絵の写しではないかと調べましたが、同じような牧谿の絵は見つかりませんでした。
瀬戸内寂聴さんのために書かれたものでしょうか。
寂聴さんのイメージで額装してもらいました。
読み取れる文字から、なんとか大燈国師の遺誡と分かりました。
『一把茅底(いっぱぼうてい)』の4文字があればもう少し簡単にたどり着けたのではないかと。
『白圭尚可磨』
完全無欠の玉も更に磨くべしという意味だそうです。
お歳暮のお礼の手紙を相手先が表装されたのでしょうか?
次の3点は“まくり”のまま寄贈先に渡しました。
不本意ながら”手元不如意”でやむを得ず、です。
高校の漢文の授業で習った『長安一片の月…』の2枚。
老師がゴビ砂漠へ行かれたのか?寄贈先に聞き忘れたままです。
かねがねやりたいと思っていた老師の作品の“まとめ”を、今回こんな形で済ませました。
お読みいただいた方には、時間を取らせてしまって申し訳なく存じております。お許しください。