5月の読書会『ちいさな ふるい じどうしゃ』レポート① | 寺田真理子オフィシャルブログ

5月の読書会『ちいさな ふるい じどうしゃ』レポート①

5月9日(木)に開催した読書会のレポートです。毎月の読書会では、絵本を中心に、毎回読み切りの短い作品を読んでいきます。作品は毎回変わりますが、テーマとしては何かしらケアに関わるものを取り上げていきます。

 

5月に取り上げたのは、『ちいさな ふるい じどうしゃ』(冨山房)です。事前に読まれた方も未読の方もいらっしゃいましたので、本書を一度読み上げたうえで、参加者のみなさまからご感想を伺いました。

 

 

「寺田さんが読んでトラウマになったということだが、トラウマになるのもすごくわかる。『わたしと あそんで』と本当に同じ作者なのかと思う。悪意ばかりだ。車の悪意……。部品を役立てて良い話のようだけれど……。ラストの『あの ちいさな ふるい じどうしゃの。』というのも、こそこそ言っているような印象がある。不思議な本だ。共感できるところが少ない。情は人のためならず、と伝えたかったのだろうか。小さな古い自動車は何の象徴なのだろうか。バラバラになっているところの絵は自動車が涙を流しているようだ」

 

「ラストの部分は噂話のようなものなのかもしれない」

 

「涙が気になる。見返しの右下部分を見ると涙だと確信する。ライトの目の部分だけになって泣いていて、切ない。運転手は『もう おそい。こいつのために してやれることは、もう なんにも ない』と言って、誰も自動車を救えない。どう読んでいいのか……。『きかんしゃトーマス』であれば古い機関車に諭されて改心するなどがあるが……。泣いていなければ自分が犠牲になって人のためになったと捉えられるだろうが……」

 

「理由なく悪事を繰り返す。飛躍すると殺人とか。『バットマン』のジョーカーのようだ。最近の映画では、なぜジョーカーになったのかという背景が描かれているが、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督による『ダークナイト』のように、以前のジョーカーは、理由なく殺人を行っていて恐怖を感じるような悪役だった。事情が何もわからず、ひたすら暴走するのが、どう解釈していいかわからなくて、いちばん恐怖を与える。世の中には背景がわからないことがあり、現実にはこういうことばかりだ。無理に理由をつけるのでなく、問いかける」

 

「作者は、もしかしたら世の中の不可解さを伝えようとしたのかもしれない」

 

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