3月の読書会『わたしと あそんで』レポート③ | 寺田真理子オフィシャルブログ

3月の読書会『わたしと あそんで』レポート③

3月11日(木)に開催した『わたしと あそんで』(福音館書店)の読書会のレポートをお届けしています。

 

『わたしと あそんで』レポート①はこちらをご覧ください。

『わたしと あそんで』レポート②はこちらをご覧ください。

 

 

 

「絵本は幼い時以来読んでいないので、70年近く読んでいないことになる。こうして読んでみると、良いものだなと思う。自分の幼少期とオーバーラップして、いろいろなことを思い出す。同郷の先輩に、いかつい顔をした、柔道をしている人がいた。その人は自然に親しむ人で、山歩きに誘われて、3ヶ月ぐらい一緒に山歩きしたことがある。植物に造詣が深い人で、山歩きの最中に植物の説明をしてくれるときの表情は、普段とまったく違って、楽しそうで心のぬくもりが伝わってきた。自分は動物がいたら子どもの頃は何でも捕まえていた。小さいヘビはポケットに入れたりして、動物は自分のものにするという接し方だったが、その人の接し方は全然違う。時間的、空間的な『間』をとって接しないとダメなのだ。そうしないと相手も寄ってこない。自分は脇役として、じっと観察していないといけない。春先と秋に川辺で散歩をするのが好きだ。秋は虫の音が聞き分けられる。オーケストラのように鳴っているのが、近くに行くとピタッと止まる。ちょっと離れると、またオーケストラが始まる。自然に接するには、自分が観察しないといけない。距離をとって接するのがいちばん良い。経験からして、この絵本には本当のことが書いてある。今の子は映像はよく見ているが、実物を見ていることが少ない。距離を置いて静かに眺めないと、相手のことはわからない。うまく付き合っていくには、空間と時間の間を持って接することだ」

 

「この女の子は、『ヘビややカエルは気持ち悪い』というような分け隔てをしていない。幼稚園も年長になると女の子は虫を嫌がるが、それまでは平気だと聞いたことがある。この女の子がまだ嫌がるような年齢に達していないということなのかもしれないが、どんな動物にも分け隔てをしていないと感じた」

 

「散歩をしている場面の絵が連続していて、移動しているのだとわかる。風景の描き方が良い。ちちくさを飛ばして、腰掛けるあたりで場面が変わる。それまでは、捕まえるとか追いかけるとか、上から目線だった。相手は言葉がわからないので、女の子のことを『追いかけてくる、恐ろしい嫌なもの』だと思うだろう。みずすましを見ているところで、自然の中のひとり、生きものになった。そうなったときに、動物たちは同じ生きものとして近づいてきてくれた。能動的にやるより、受け身でいるほうが良いということなのかも。座ってからの表情がかわいい。小鹿が顔を舐めたときの表情など、ほのぼのとする。大人も楽しめる。ほのぼのとした風景の中で、鉄線の存在が気になる。動物の写真を撮る写真家は、何十時間も待つのだろうと思う。待つといいことがある。認知症も、待つことと話を聞くことが関係する」