『認知症ケアの倫理』第12回読書会レポート② | 寺田真理子オフィシャルブログ

『認知症ケアの倫理』第12回読書会レポート②

2022年9月8日(木)に『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』の第12回読書会を開催させていただきました。ご参加のみなさま、ありがとうございました。以下にレポートをお届けいたします。

 

 

第12回読書会レポート①はこちらをご覧ください。

 

 

 

「様子を見るというのは、切迫していない、先延ばしをして良い状況だと思う。自分が夜勤の担当の時に、他の担当者に『様子を見ておいて』という場合がある。何かあったら連絡して、という形だ。自分の担当フロアなので責任は自分にあるのだが、『様子を見ておいて』と言うことで少し気持ちが楽になる部分がある」

 

「自分が責任の最前線に立っているわけだが、最終的な責任を負うことは変わらなくても、ほんの少しでも前線を離れるというか、誰かに代わってもらえることで、背負っているものが楽になる部分があるのではないか」

 

「様子を見るのは身の回りのことや家族のことだが、日常で結論が出せなくて様子を見ることが多い。時間が経って自然と解決していることもある。決めるほど大事ではないこともある。身の回りのことで気になったことはExcelにメモをしておく。3分の1くらい解決できれば良いというつもりでいる」

 

「『今解決しなきゃいけないんじゃないか』という焦りが問題なのではないか。仕事であれば、様子を見ていても自分以外にやる人がいるので放っておくことがある。助けてばかりではその人の成長の機会を奪ってしまうことになる。コロナでは『トイレットペーパーがなくなるのではないか』とメルカリで数千円も出して買った人もいたらしいが、結局なくなりはしなかった。様子を見ておけば済んだはずだ。自分で基準をつくっておくと楽なのではないか。福祉も子どものサポートと高齢者のサポートでは違う。高齢者の場合は成長していくわけではなく基本的に衰えていくので、様子を見ながらどこかで決断する」

 

「仕事がうまくいかない時に、『とりあえず様子を見ましょう』と言って放っておくことがある。そのうちに忘れてしまうことも多い。『様子を見ましょう』というのは私がよく使う言葉ではないだろうか」