『認知症ケアの倫理』第5回読書会レポート① | 寺田真理子オフィシャルブログ

『認知症ケアの倫理』第5回読書会レポート①

2022年2月10日(木)に『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』の第5回読書会を開催させていただきました。ご参加のみなさま、ありがとうございました。以下にレポートをお届けいたします。

 

 

今回は42ページから読み進め、第三者が介入することで「関係性」がどう変化するのかを見ていきました。45ページに関連して、「医師が介入したことでかえって関係性がこじれてしまった経験」や、医師の介在する状況ではなく日常的な出来事で、「第三者が介入したことでかえって関係性がこじれてしまった経験」についてお話を伺いました。

 

「娘がイギリスで脳性麻痺の診断を受けたことがきっかけで、姑が育児に介入してきた。自分は当時英語ができない状態でイギリスに来ていて、システムもわからなかった。専門的なことに対応できないため、姑がどんどん介入してくることになった。2歳で脳性麻痺の診断は取り消されたが、その後も姑は介入を続けた。姑は学校で校長をしていた経験もあり、積極的に介入してきた。日本とイギリスでは子育てに対する考え方も違う。夫も子どものことに関しては私ではなく姑に相談していた。姑の介入によって夫婦間の関係が壊れたと感じている。診断が取り消された後も、自分だけ家族の外にいるように感じていた。会話に入れないし、夫と育ってきた環境も違うので過去が共有できない。自分は禅宗の曹洞宗の環境で育ったが姑はカトリック。そういう環境の違いも影響しているのではないか」

 

「現在中学生の娘がいるが、幼稚園は曹洞宗で、小学校はカトリックで育った。破天荒な子で、小学3年生の時に発達障害ではないかと言われた。病院ではその疑いはまったくないと言われたが、学校のルールをはみ出してしまう子だった。カウンセリングにも行った。グレーと言われるが、娘の可能性を信じてやってきた。これも娘がいたからできた経験で人生のエッセンスだと思っている。カウンセラーにも様々な人がいることがわかったし、専門家だからといって正解というわけでもない。第三者の指摘はその時点では嫌だったけれども、第三者が入って違った見方ができることもあった。親子といっても子どもは預かりものなので、娘のパーソナリティーを尊重したい」

 

「自分は田舎の学校で育ったので、農業に就く生徒が周囲には多かった。先生が親切心から「君はこういうのが向いている」と進路について意見をすることがあった。同窓会で話題になったのだが、当時先生の声は神の声に等しかった。先生というのは存在自体が強い影響を与えるものだと思うので、納得できるような人物であることが求められると思う。現在は高校でアルバイトをしていて、高校には宗教の先生がいるが、先生の言っていることに本人の行動が伴っていないのではと思うことがある。周りの人の人生を変える立場にあることを自覚する必要がある」