アメリカの教員評価政策によって、学区・学校間の不均衡・不公平が助長されている、ということに焦点を当てたリサーチについて。

 

The Structure and Substance of Teachers' Opportunities to Learn about Teacher Evalaution Reform: Promise or Pitfall for Equity?

 

最近教員評価についてのネタが多いのですが、今回もまたその手のネタ(なので、今回書いたら当分教員評価ネタはお休みの予定・・・というか個人的にも少し飽きてきました)。

 

今日の論文は、教員評価について、評価される側の学校関係者、特に校長先生や先生方にインタビュー形式でリサーチしたものです。インタビュー内容は興味深いのですが、前提となる教員評価への認識があれ!?っていう感じで、そこで敢えて取り上げてみました。

 

<教員評価への誤った見解>

 

今日の研究は2016年発表論文で、古いわけではないのですが、教員評価に対する現場レベルの対応・認識を調べる・・・というリサーチ自体は興味深い反面、教員評価の元々(又は本来)の目的を正しく認識していないのでは・・・という記述が見られます。例えば、

 

1.There is no research demonstrating that teacher evaluation has increased teachers’ skills or enhanced student learning on a wide scale. 

(教員評価によって教員のスキルがアップした、又は学生の学習が広範囲で向上した、ということを証明したリサーチはない)

 

という指摘ですが、確かにないかもしれませんが、元々教員評価の目的は教員のスキル向上でもなければ、生徒の学力アップでもありません(仮にあったとしても、一番の目的ではありません)教員がどれだけ生徒の学力向上に尽力したか(またはしてないか)を計測すること、これです。それによって、学校・教員のAccountability(責任)の所在を明らかにする、これです。学力が上がった、下がった・・・といっても、それは誰のせいで(又は何が原因で)学力が変動したのか?これがはっきりしないので、教員評価によって明らかにしよう、これが目的です。

 

それ故、

 

Evaluation has not tended to provide substantial amounts of high quality feedback to teachers, despite teachers’ desire for substantive advice  

(教員は実のあるアドバイスを望んでいるにも関わらず、教員評価によって、役立つフィードバックが提供されない傾向がある)

 

と言われても、教員評価の目的は教員へ実のある情報提供ではないので、役立つフィードバックが提供されないのもある意味納得です。ただ、現場レベルの上記のような不満が出るのは理解できます。

 

2.Few teachers report that evaluation is useful to them 

(教員評価が役立つと報告する教員はほとんどいない)

 

これもまたしかり。教員評価の目的が先生の授業・カリキュラム向上のためではないので、教員評価が教員の役に立つという人がほとんどいないのも当然。教員評価はむしろ政策立案・運営に携わる立法者のために必要な情報です。

 

逆に教員評価の本来あるべきメリットは、

 

ー校長・教頭先生を含む学校関係者が、指導力向上・スキルアップが必要だろうとされる教員が誰か識別・認識する際に必要な情報が得られる(要はサポートが必要な先生が誰だか分かるってことです)。

 

ー教員の雇用・解雇・補充等の判断基準、さらにパフォーマンスの高い教員へのボーナス支給といった政策に必要な情報が得られる。

 

ということで、この論文を読むと、学区の関係者などを含む政策立案・運営に携わる人と、評価される側である教員・その他学校関係者では、かなり教員評価への認識がズレがある感じがします。

 

<教員評価における不均衡>

 

今回のリサーチは目的として、教員評価によって不均等な結果が招かれていないか?ということに着目し、それを調べるために校長先生、教員といった学校関係者にインタビューをとっていますが、重要なことは

 

教員評価が、教員のパフォーマンスには無関係な要因に邪魔(又は阻害)されず、正確かつ公平に教員のパフォーマンスを評価しているか?

 

であり、校長先生や教員にインタビューを取り、教員評価への認識(又は理解)のズレが(学校や教員によって)ある、ということが分かっても、そのズレによって教員評価結果が不正確になったり信頼できないものとなるのか?です。

 

教員評価方法それ自体に問題があれば、それによって不公平な結果になりかねませんが、教員が教員評価についてどれだけ認識があり、理解しているか?は正直教員評価の信頼性と関係ないのでは・・・というのがこの論文読んんだ率直な意見です。

 

教員を評価する手段・方法に不公平・不正確性があれば(例:学力テストスコアーだけで教員の生徒への学力向上・衰退を測定する、教員のパフォーマンスを全員公平ではない授業参観方法を通して行う・・・など)、それは不均衡な結果をもたらしかねませんが、最低でも教員が教員評価の認識の深さ・浅さで結果が不均衡になるのは少し無理があるロジックかな、と学区でデータ分析していた立場からすると思ってしまいます。

 

<総論>

 

今回紹介したリサーチ。リサーチ自体はかなり大掛かりで(14学区内の37校の学校訪問&インタビュー)、時間&労力的に大変だったことが推測されます(ちなみに、私が働いていた都市部学区は小中高全部で39校)。

 

アメリカ・コネチカット大学の教授らによる、コネチカット州全体の教員評価への認識を調査する目的があったため、おそらく州内全土に調査しただろうことを考えると(具体的にどの学区&学校に行ったかはこの研究論文には明記されていません←おそらく不特定であることを条件だからこそ成し得たリサーチです)、もう少し違った形でリサーチできなかったかな・・・と研究者の端くれとして思ってしまいます。

 

いずれにせよ、常に問題となっている教員評価政策、リサーチアプローチは重要だな、と初心に立ち戻る気持ちになりました・・・。