今回は実際の入試問題を通しての実践。入試問題では、よく「国語で問題を通して、作者の意見、登場人物の心情を聞くことはナンセンス」という意見をたまに聞くが、入試問題は入試問題なりに、それなりに作られていることを、今回を通して分かれば・・・と思う。
ところで、小説の読解のポイントは、「登場人物の心情を把握すること」。そして、登場人物の心情を把握するためには、「風景描写、動作描写に注目する!!」ということが前回までの話し。
*前回述べませんでしたが、なぜ風景描写に登場人物の心情が表れるか?というと、それは、
風景描写が、作者が見ている風景ではなく、登場人物の目に映った風景だから、ということです。
同じ風景でも、登場人物の心情によっては、色鮮やかに映ったり、極めて暗く映ったりする、それは、まさにその風景が登場人物の視点を通して描かれているからです。それを理解して読んでいかないと、自分の感覚だけで作品を理解する(=感情移入して読んでいるだけ)になり、作品を理解できなくなります。
では、今回は実際に使われた入試問題を通し、入試問題でも「登場人物の心情=風景&動作描写」ということが窺い知ることができることを見ていきましょう。
****************
一夜の木枯らしにざくろの葉はちりつくしていた。
その葉は、ざくろの木の下の土を円く残して、そのまわりに落ちていた。
雨戸をあけたきみ子は、ざくろの木が、裸になったのにも驚いたが、葉がきれいな円を描いて落ちているのも不思議だった。風に散り乱れそうなものだった。
梢にみごとな果実があった。
「おかあさん、ざくろの実」と、きみ子は母を叫んだ。
「ほんとうに・・・・・・。忘れていた」と、母は、ちょっと見ただけで、また台所へもどって行った。
忘れていたという言葉から、きみ子は自分たちのさびしさを思い出した。縁先になっているざくろの実も忘れて暮らしているのだった。 (川端康成「ざくろ」より)
****************
というのが問題の文章の最初の一部分で、それに関する問いが下です。
問1 冒頭部四行分についての評言としてもっとも適当なものを、次の中から選べ。
ア 季節きわまる果ての、さわやかな、しかしどこかものさびしい感じがある。
イ 初冬の朝のぴりっとひきしまった空気が感じられる。
ウ いつも人間の意表をつく自然の営みの不可思議さが感じられる。
エ 訪れる季節は厳しくとも、それに耐え抜いた後の、ほのかな幸せが感じられる。
問いを見て分かるように、小説のポイントが、「登場人物の心情を把握すること、そしてその際に風景描写、動作描写に注目すること」ということを、知っていると知っていないとでは、まさに大いに異なる設問だと思います。
冒頭の四行は、主人公・きみ子の視点から見られた“風景”であって、単なる風景ではありません。つまり、きみ子の心情の表れです。
それを考慮して考えると、その後の文に「きみ子は自分達のさびしさを思い出した」とあるため、冒頭四行も、選択肢アの「さびしさが感じられる」が答えと分かります。
このように、入試問題も、運や出題者の独断で作られたわけではなく、それなりにきっちり作られています(もちろん、ブログなので、これ以上沢山の具体的な入試問題を紹介できませんが、高校入試でもこの小説の鉄則は当てはまった問題を数多く見られました)。
こういったことを考えると、日本の(小説の)入試問題も捨てた物ではない!!と皆さん、思いませんか?(次回以降は、小説の読解~有名文学作品の読解についてを書く予定です・・・といっても、他のテーマもこれと平行して書きますが・・・)
ところで、小説の読解のポイントは、「登場人物の心情を把握すること」。そして、登場人物の心情を把握するためには、「風景描写、動作描写に注目する!!」ということが前回までの話し。
*前回述べませんでしたが、なぜ風景描写に登場人物の心情が表れるか?というと、それは、
風景描写が、作者が見ている風景ではなく、登場人物の目に映った風景だから、ということです。
同じ風景でも、登場人物の心情によっては、色鮮やかに映ったり、極めて暗く映ったりする、それは、まさにその風景が登場人物の視点を通して描かれているからです。それを理解して読んでいかないと、自分の感覚だけで作品を理解する(=感情移入して読んでいるだけ)になり、作品を理解できなくなります。
では、今回は実際に使われた入試問題を通し、入試問題でも「登場人物の心情=風景&動作描写」ということが窺い知ることができることを見ていきましょう。
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一夜の木枯らしにざくろの葉はちりつくしていた。
その葉は、ざくろの木の下の土を円く残して、そのまわりに落ちていた。
雨戸をあけたきみ子は、ざくろの木が、裸になったのにも驚いたが、葉がきれいな円を描いて落ちているのも不思議だった。風に散り乱れそうなものだった。
梢にみごとな果実があった。
「おかあさん、ざくろの実」と、きみ子は母を叫んだ。
「ほんとうに・・・・・・。忘れていた」と、母は、ちょっと見ただけで、また台所へもどって行った。
忘れていたという言葉から、きみ子は自分たちのさびしさを思い出した。縁先になっているざくろの実も忘れて暮らしているのだった。 (川端康成「ざくろ」より)
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というのが問題の文章の最初の一部分で、それに関する問いが下です。
問1 冒頭部四行分についての評言としてもっとも適当なものを、次の中から選べ。
ア 季節きわまる果ての、さわやかな、しかしどこかものさびしい感じがある。
イ 初冬の朝のぴりっとひきしまった空気が感じられる。
ウ いつも人間の意表をつく自然の営みの不可思議さが感じられる。
エ 訪れる季節は厳しくとも、それに耐え抜いた後の、ほのかな幸せが感じられる。
問いを見て分かるように、小説のポイントが、「登場人物の心情を把握すること、そしてその際に風景描写、動作描写に注目すること」ということを、知っていると知っていないとでは、まさに大いに異なる設問だと思います。
冒頭の四行は、主人公・きみ子の視点から見られた“風景”であって、単なる風景ではありません。つまり、きみ子の心情の表れです。
それを考慮して考えると、その後の文に「きみ子は自分達のさびしさを思い出した」とあるため、冒頭四行も、選択肢アの「さびしさが感じられる」が答えと分かります。
このように、入試問題も、運や出題者の独断で作られたわけではなく、それなりにきっちり作られています(もちろん、ブログなので、これ以上沢山の具体的な入試問題を紹介できませんが、高校入試でもこの小説の鉄則は当てはまった問題を数多く見られました)。
こういったことを考えると、日本の(小説の)入試問題も捨てた物ではない!!と皆さん、思いませんか?(次回以降は、小説の読解~有名文学作品の読解についてを書く予定です・・・といっても、他のテーマもこれと平行して書きますが・・・)