明日、読む、宮沢賢治の「春と修羅」は、
朗読会は、すでに80回を越えていますが、なんどか私の朗読会に来ていただいた方は、私がどれだけ暗いテーマを避けてきたか、
ただ…2月の朗読会で申し上げたように、現代は、
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これは、すでに10数年前の新聞に投書された、
この読者からの問いかけに、
それから1年半も経って、あの時の読者からの質問なのですが…
その方の考察によると、現代、
そこから流れてくる、音やコマーシャルに使われる音楽などは、
子守唄は、マイナー(短調)で作られている。
人の悲しみや苦悩などに同調する優しい心を、育むことが出来る。
誰かのために、涙することが出来る。
それが、
たしか、こんな考察だったと思います。
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詩や小説も、しかりである。
私は初め、賢治のこうしたダークな部分を避けようと思い、特に、
こう思った次第である。
(選抜したのは、私であるのに)
ただ、賢治の「春と修羅」は初めてだったが、解説を見ずとも、
この詩のキーワードとなっている語句は、ZYPRESSEN(
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解いてみて驚いた。
賢治はまるで、【私自身】である。
明日の朗読会では、随時、賢治の詩と、
”黒い木の 群落が延び
その枝は かなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神(そうしん)の森の梢から ひらめいて とびたつ からす”
宮沢賢治 『春と修羅』より抜粋
私はどこまでいっても、私自身にしかなれない。
私が生きるということは、私を伝えるしか、そのすべはない。
明日は、前半には、この「春と修羅」をじっくりと堪能いただき、
寺千代(横須賀の朗読家、4オクターブ、7色の声)
明日の朗読会については、こちら