週末の食事処は、大勢の人でいっぱいだった。

 

僕たち夫婦は、店の奥の座敷の広いテーブルの席に、通された。

 

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隣りの席も空いていたけれど、すぐに初老の男性がそこに腰を落とした。

 

男性は、両方の鼻にチューブがささっており、僕には何のためだかわからなかったが、病の治療が継続して行われている状態にあることだけは、よく理解できた。

 

 

しばらくすると、男性の向かい側に、初老の女性が一人腰を下ろした。

関係からみて、夫婦であろう。

 

彼らも、僕たちとおなじように、彼らも注文をとったのだか、そのあと、すぐに奥さんのほうが、先ほど脱いだダウンジャケットを再び身につけると、肩すくみを行った。

 

 

他の店に比べて、ここは確実に寒い。

 

以前、そのことを痛感して懲りていたから、私は中にインナーをしっかりと着てきたから、大丈夫だった。

 

ただ、この女性はとても耐えられないようだった。なん度も身体を震わせては、肩を上げ下げしている。

 

それほどまでに寒い原因とは、窓が開けられているからだった。

 

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店の方針のようで、「換気をしています。閉めないでください」と書かれている。

 

3月上旬の季節とはいえ、朝晩は、まだまた強い寒さを感じる。

時間は、夜の7時になろうとしているところだから、気温は10度を下回ったくらいであろうか。

 

しかもその女性は、開けられた窓をそのまま背にしていた。

屋台のおでんやラーメンであれば、もともと覚悟は出来ていようが、仮に、彼らが初来店の客だとすると、それは哀れというより、他にない。

 

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そう思っているうちに、ぽつぽつと席が空き始めた。

 

きちんと片付けられたテーブルが、斜向かいの座敷に一つ空いている。

 

僕は隣りの彼らに向かって、声を掛けた。

 

「余計なことだったらすいませんけど、ここ寒いでしょう?あちらの席に変えてもらったらいかがですか?」

 

女性が遠慮がちに首を振る仕草を見るか見ないかのうちに、僕は近くにやってきた店員に、無意識のうちに声をかけていた。

 

「お姉さん、すいません。こちら、あそこの席に移らしてもらえませんか?さっきから震えていて、可哀想だから…」

 

僕かいい終わる前に、6人くらいの男性がざっとやってきた。彼らはまっすぐにその席に向かっていく。

 

「ほら、お客さん来ちゃったから」うちの妻が言う。

 

隣りの奥さんは、小さくなって固まっている。

 

女性の店員は、まだ若く、少しぶっきらぼうな感じの方だったが、いきなり窓のところまで来て、「ざっ」と窓を閉めた。

そのまま一言も言わず、何ごともなかったような、調理場へ戻って行ってしまった。

 

そこまで、本当に一瞬の出来事だった。

 

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女性は、「ありがとうございました」と僕にひとこと言うと、未だダウンジャケットは身につけていたものの、その後は一度も、身体を震わせることなく旦那さんと食事を続けた。

 

僕たち夫婦も、それで安心して食事と会話に集中出来た。

 

店の名誉のために言うが、窓を開けているのは、この店なりに考えた、現在の状況や設備等を考慮してそうするに至った、最良と思われる案である。

 

それで不服があれば、客は2度とここに足を運ばないはずだが、それでも、(ここがいい!)という何かがあるからこそ、多少寒くても、みんなここに来るのである。

 

ただ…

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冒頭に書いたように、その店側の作った規則が絶対かというと、それは絶対ではない。

 

僕はむしろ、窓を開け放ち、ややぶっきらぼうに去って行った店や店員さんよりも、そこに書かれた、言葉に我が身を犠牲にしてまで従おうとしていたご夫婦にこそ、問題があると思うのだ。

 

その証拠に、店員さんは、ぶっきらぼうとはいえ(←なん度もしつこい!)窓を閉めてくれたではないか!

 

ちなみに、店内にはまだ何箇所も窓が開け放たれていた。閉めてくれたのは、この奥さんの真後ろにあった窓だけである。

 

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僕と妻は、出された食事にも、お店の対応にも大変満足して、席を立った。

 

帰り際、その女性の背を通って、靴を取りに行ったのだが、ご夫婦揃って、僕に向かってえらく丁寧に何度も頭を下げていた。

 

僕はかんたんに「どうも」と言って済ませて、帰るつもりだったのだが、彼らのうるうるとした視線があまりにも絡んでくるので、さすがにそうはいかなくて…

 

 

「うちもしょっちゅう病院行ってますから、どうぞ、身体大切になさってください」

 

そう言うと、初老のご夫婦はさらに僕に頭を深く下げた。

 

最近はめっきり、このようなやりとりが減ったおかげで、なんだかこそばゆかったが、まぁ良いことをしたのだろうと、自分を納得させることにし、勘定を払って外に出た。

 

 

レジは、さっきとは別の店員だったのだが、とても感じが良かった。

 

 

寺千代(横須賀の声優・朗読家、4オクターブ、7色の声)