男はつらいよ50作目。
「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開されたのは、
2019年12月だった。

 

 

 

 

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1970年早生まれの僕は、
ちょうど50歳になった時に、
50作を映画館に観に行ったことになる。

(そして寅さんが公開されて、丸50年の記念作品でもある)

 

寅さんの甥御さん、
諏訪満男演じる吉岡秀隆さんは、
僕より一つ学年が下。

 

男はつらいよシリーズの映画第1作が公開されたのは、
1969年8月ということだから、
ほぼ私の実人生とリンクしてきた映画と言えるだろう。

 

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かつて映画監督に憧れていたこの僕が、
映画館で観た映画をふたたび、
しかもずっと手元に置いておきたいと、
ビデオカセットないし映像データをその後すぐに購入したのは、
さびしんぼう」85’大林宣彦監督作品と、
この「男はつらいよ50作」だけである。

 

この50作が公開されるにあたっては、

まるで夢のようであった。

なんせ、渥美清さんが急逝して、
48作で突然男はつらいよが終わってしまってから、
22年が経っていた。

 

近年は、シリーズ化する映画自体が珍しいなか、
「男はつらいよ」は、
年に2回くらいの順ペースで
公開され続けていたことになる。

 

そんな寅さんの映画が尻切れとんぼで終わってしまった
ファンからすれば
これは待ち望んでいた…
というよりは、公開というニュースを聞いた時には、
まさか!?という、奇跡に近かったと思う。

 

あの頃の、おいちゃん、おばちゃん、(そして、寅さん…)はもういないものの、
さくらさん、ひろしさん、
そして、満男や、げんちゃんまでも登場しているのだから、
たとえ22年隔たりがあったとしても、
あの頃を回想するには、十分な作品である。

 

何よりも、脅威なのは、
この映画を撮った監督が、
山田洋次(現在92歳!)監督その人であることではないだろうか。

 

寿命は、努力ではない。

天より与えられたものであるから、まさに、奇跡なのである。

 

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さて、こちらは奇跡と言えるかわからないが、
寅さんに登場するセットが、
わが家とおなじだったということが、2度もあった。

 

ひとつめは、回は忘れたが、
まだ初期の諏訪家で使われていた洋服ダンスが、
かつて私の実家で使われていたものと、全く一緒だったこと。

 

ふたつめは、この50作の団子屋の居間に置かれたソファーが、
かつてわが家にあったカリモクであり、
色も柄も、瓜二つであった。

 

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さて、50作では、かつての男はつらいよシリーズのフィルムが至る所に使われ、
ときわけ、とらやの茶の間シーンが登場する。

 

ここからが、私と家族の実体験になるのだが、
私は妻と私の両親とともに、
かつての私の母方の祖父母の家に行ってきた。

 

渥美さんと同時期に亡くなってしまった祖父母の家に、
私たちがどうしてふたたび訪れることが出来るかといえば、
それは現在、私の弟が住んでいるからだ。

 

これまでも、単身で、
何度か弟の家に遊びに行ったことはあったが、
かつての祖父母の家と意識して、
妻や両親を連れて行ったのは、これが初めてである。

 

私はどうしても、
祖父母のいた茶の間で、
ちゃぶ台で、
みんなと食事をしてみたかった。

 

…そう、満男やさくらやひろし、
そして、及川泉が、
かつての「とらや」での時間を愛おしむように、
私も、私の両親や妻や弟や、
そして甥っ子(私も寅さんのような叔父さんになったのだ!)を囲んで、
みんなでご飯を食べた。

 

映画のような…食卓
であったかどうかは、ともかく、
僕はとても満足だったし、
いちばん感激していたのは、
実は甥っ子ではなかったか、と思っている。

 

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さて、私の兄弟がそれぞれ家庭を持ってから、
それぞれが核家族化したことに、多少なりとも寂しさは感じている。
 

映画の寅さんだって、
決して大家族ってわけじゃあないが、
時たまやってくる裏のたこ社長や、
寅さんが取っ替え引っ替え連れてくる、マドンナたちの存在によって、
とらやのちゃぶ台と言えば、
いつも大所帯だった記憶がある。

 

今回のわが家も、都合、三世帯が集合したものだから、
まず困ったことが、テーブルの狭さだった。


一つのテーブルに、8人もの人間はとても座れない。

 

あれ?

でも、、

おかしいなぁ。。

 

かつては、この祖父母の家でちゃぶ台
実際はこたつだったのだか、なんだかちゃぶ台と言ったほうが語呂がいい。
実際、四角くてもちゃぶ台というそうである)に
みんなで座っても、きちんと食事が出来た。


ところが、今回集まったら、
とてもじゃないけれど、
一つのちゃぶ台では座り切れないのだ。

 

僕は昔の記憶を探りながら、
なぜ、あれだけの人数が四角いいちゃぶ台に座れたのか、
どうしてもわからなかった。

 

僕が子供だったから、
一箇所に2人座れたのだろうか?
やはり…どうしても、わからない。。

 

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その謎が、今回、

男はつらいよ50作の回想シーンを見ていて、

明らかになったのだ!

 

かつてのとらやには、

7人の人が座卓を囲んで賑わっている。

 

座卓は長方形であり、

奥座敷にいちばん近いところに、リリーさん。

そして、時計回りに、

寅さん、

ひろし、

たこ社長、

おばちゃん、

さくら、

おいちゃんがいる。

 

さすがに

たくさんの料理は置かれていないものの、

それぞれ自分の近くに、

ビールの注がれたグラスが置かれている。

 

そして、なんと!

上記のうち、

寅さん、

たこ社長、

さくらの3人は、

座卓の角に座っているのだ!

 

思わず、

びっくりマーク!を描いてしまったが、

僕もかつて

そうやって生活してきたはずだった。

 

80年代頃から、

子供部屋、

ダイニングテーブルなどが登場してから、

自己の権利や、

アイデンティティなどが騒がれるようになり、

かつては

どこの家でも見られた寅さんのとらやの食卓のような光景

失われていった気がする。

 


寺千代(横須賀の声優・朗読家、4オクターブ、7色の声)