男はつらいよ50作目。
「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開されたのは、
2019年12月だった。
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1970年早生まれの僕は、
ちょうど50歳になった時に、
(そして寅さんが公開されて、丸50年の記念作品でもある)
寅さんの甥御さん、
諏訪満男演じる吉岡秀隆さんは、
男はつらいよシリーズの映画第1作が公開されたのは、
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かつて映画監督に憧れていたこの僕が、
「
この50作が公開されるにあたっては、
まるで夢のようであった。
近年は、シリーズ化する映画自体が珍しいなか、
「男はつらいよ」
年に2回くらいの順ペースで
公開され続けていたことになる。
そんな寅さんの映画が尻切れとんぼで終わってしまった
ファンからすれば
これは待ち望んでいた…
というよりは、公開というニュースを聞いた時には、
まさか!?という、奇跡に近かったと思う。
あの頃の、おいちゃん、おばちゃん、(そして、
さくらさん、ひろしさん、
あの頃を回想するには、
何よりも、脅威なのは、
この映画を撮った監督が、
山田洋次(
寿命は、努力ではない。
天より与えられたものであるから、まさに、奇跡なのである。
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さて、こちらは奇跡と言えるかわからないが、
わが家とおなじだったということが、
ひとつめは、回は忘れたが、
ふたつめは、この50作の団子屋の居間に置かれたソファーが、
色も柄も、
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さて、50作では、
ここからが、私と家族の実体験になるのだが、
渥美さんと同時期に亡くなってしまった祖父母の家に、
これまでも、単身で、
妻や両親を連れて行ったのは、
私はどうしても、
祖父母のいた茶の間で、
ちゃぶ台で、
…そう、満男やさくらやひろし、
そして、及川泉が、
かつての「
私も、私の両親や妻や弟や、
みんなでご飯を食べた。
映画のような…食卓
であったかどうかは、ともかく、
いちばん感激していたのは、
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さて、私の兄弟がそれぞれ家庭を持ってから、
映画の寅さんだって、
決して大家族ってわけじゃあないが、
とらやのちゃぶ台と言えば、
今回のわが家も、都合、三世帯が集合したものだから、
一つのテーブルに、8人もの人間はとても座れない。
あれ?
でも、、
おかしいなぁ。。
かつては、この祖父母の家でちゃぶ台
(
実際、
みんなで座っても、
ところが、今回集まったら、
とてもじゃないけれど、
僕は昔の記憶を探りながら、
なぜ、
僕が子供だったから、
一箇所に2人座れたのだろうか?
やはり…
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その謎が、今回、
男はつらいよ50作の回想シーンを見ていて、
かつてのとらやには、
7人の人が座卓を囲んで賑わっている。
座卓は長方形であり、
奥座敷にいちばん近いところに、
そして、時計回りに、
寅さん、
ひろし、
たこ社長、
さくら、
おいちゃんがいる。
さすがに
たくさんの料理は置かれていないものの、
ビールの注がれたグラスが置かれている。
そして、なんと!
上記のうち、
寅さん、
たこ社長、
座卓の角に座っているのだ!
思わず、
びっくりマーク!を描いてしまったが、
そうやって生活してきたはずだった。
80年代頃から、
子供部屋、
自己の権利や、
どこの家でも見られた寅さんのとらやの食卓のような光景
失われていった気がする。
寺千代(横須賀の声優・朗読家、4オクターブ、7色の声)