(前回の続き)

 

【第二回 自分がわからないうちから、周囲に告知をすることへの重なる不安】

何も言ってあげられない。

自分の心さえも、扱えない

私は、元々、占い師でしたから、色々な知識、解決の仕方、心の持ち方なんかがどこかで、自信があったはずでした。久美さんとも、これまでも、ひとつひとつ、そうやって乗り越えてきたはずだったんですけど、その私が、なんにも言えない。なにも言ってあげられない。


で、私は自分の心を、疑い始めるんです。

 

(心配しているのは、本当に久美さんのことなんだろうか?久美さんにもしものことがあったら、自分が困るから、ただそれだけで、本当は、久美さんのことなんか心配していないじゃないだろうか?)

 

本人はもっとつらいはずなのに、僕が安心させてやらなきゃいけないのに。でも、その方法がわからない。
 

そして、僕自身の心さえ、どう扱っていったらいいかわからない。


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ファーストステップは、まず受け入れることでした

そんな私が唯一、頼りに出来たのは、その時点で、わかっていた、医師から出されたガンの進行状況だけでした。
 

乳房のなかに、進行性のさほど速くないガンが、結構な大きさになっていて、たぶん乳房の中にはすでに散らばっているだろう。乳房の全摘出は免れないだろう。

それと、乳ガンと言われた方へって、もうこれからすべきことが冊子になって出来ているんで、まずは、そちらを熟読しました。それだけです。

それから、すぐに、久美さんなんか、自覚がほとんどないまま、CTとMRIの検査をして、その結果が出るのが、二週間か、三週間後くらいだったと思います。

CTは、レントゲンの強力なものです。これで他の臓器に転移がないかどうかを診ます。


また、MRIは、磁気の力を使って、乳房の中に転移がないかどうかを確認するためのものでした。

 

 

転移があるということは、それだけ次の段階への覚悟をしなければならないんです。

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私と久美さんは、この段階で、しばらく誰にも告知しないことを決めました。


ひとつは、周囲に余計な心配をかけないため。


ひとつは、告知しても、たぶん、他の方々に質問攻めにあうであろうことを、予測して。この時は、何もわかりませんから。
 

 

あと、強烈な現実が付きつけられているのに、自分たちの心が安定していないうちから、さらに、ガンであることを、人から言われて再認識してしまう、し続けなければならない。

 

それがつらかったですね。


「どうなの?」

「だいじょうぶなの?」
 

もし、そうやって聞かれたとしても、その時は、何もわからないしか、言えなかったでしょう。

 

どうなのか?

だいじょうぶなのか?

 

を、いちばん知りたかったのは、

 

僕と久美さん自身だったんです。

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最愛の人の死への恐怖。現実、そして…、夢の中でも…

他の臓器に転移しているか、いないか?わからない状態のまま、私たちは、群馬県のはまゆう山荘に出掛けました。

横須賀市とのかつての姉妹都市。群馬県倉渕村。今は村でこそありませんが。風光明媚な自然の豊かなところです。毎年、ここで久美さんの演奏会が催されています。

久美さんのリサイタルは、約2時間のステージ。
その2時間をこなすために、はまゆう山荘では、観光もせずに、3日前くらいには、チェックインして、1日8時間くらいピアノの前に缶詰になります。

また、2時間のステージの枠の中で、15分くらい、私も久美さんと、「クラシック劇場」という、ピアノに合わせたお話しを、通常毎年、
コロナの何年かは、大人しくしてましたけど、今年は演じさせていただけました。

今年の春ごろから、今年は新作をやろうねって決めていて。

前回の、6月26日には、はまゆう山荘から帰ってすぐに、このピアノスタジオでもやりましたけど、あの時も、みなさんに言えませんでしたね。久美さんもいつもの元気な久美さんの姿にしか、見えませんでした。

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イゾルデ愛の死との同期~ワーグナーのオペラ~


今年、はまゆう山荘でやる演目が決まったのは、久美さんに、まだ
しこりが見つかる前でした。ゴールデンウィーク明けた頃だったと思います。


「今回は何をやるの?」

 

って言ったら、

 

「ワーグナーのオペラの一節をやる。演目は「トリスタンとイゾルデ」という曲の中から、ラストシーン、「イゾルデ愛の死」」

 

というんです。


(イゾルデは、アイルランドの王女。トリスタンは、イゾルデの仇でありながら、最愛の男性という複雑なストーリーなのですが、私は、最愛の男性であるトリスタンが、自分の目の間で息絶えていく、その様子をみながら、彼への愛を何度も再確認しながら、自らも息絶えていく王女イゾルデを、私は演じることになりました)


その曲とお話しを読み進めていく最中、はまゆう山荘に出かける10日ほど前に、久美さんのガンの告知を受けたんです。先ほども言いましたけど、その時は、まだ、ガンがどれくらい進んでいるのかもわかりませんでした。CTやMRIの結果は、翌月、7月の頭に出されます。

私は、まさにイゾルデ王女ではないけれど、気がおかしくなりそうになりましてね、最愛の人の死をずっと意識しなければならない。夢の中でも、現実でも、、


「私は、久美さんに、なぜこの演目を選んだの?」

 

って聞きましたら、
 

「美しい曲だから」って。

 

とても無邪気に。。


…何かとこういうテンションの久美さんと、15年近く、私は夫として過ごしてきたわけですけれど、ここで怒ってはいけないことはわかっているんです。

 

だって、ね。ふつうの人じゃないんですから。

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目のまえにある課題をクリアする

私と久美さんは、ガンの告知を受けてから、とにかく、徹底して病院からもらった資料やファイルを熟読しました。他の方たちに、聴かれても、全部応えられるくらい、徹底して頭の中に叩き込みました。

病院からもらったものでは、足りないところは、インターネットを見て、何冊もの資料を印刷して、マーカーを引いて、ピアノの上に積み重ねていきました。


それと、同時進行で、息絶えていく王女イゾルデの役を、わがものにしていかなければなりませんでした。

「トリスタンとイゾルデ」は、私がやめようと言えば、止められました。
はまゆう山荘も、メインは、久美さんのピアノなわけで、
クラシック劇場がなくなっても、なんら困らないはずなんです。


でも、私はこんなふうに思ってしまいました。
 

(この「イゾルデの死」を演じる過程で、私や久美さんが生きることの意味、これからの苦難を乗り越えるヒントをもたらしてくれるかも知れない!)

そうやって、私は、懸命に、王女イゾルデへと、なり切っていきました。

 

 

寺千代(横須賀の声優・朗読家、4オクターブ、7色の声)