今から三十年前。私が二十歳の頃に、大変お世話になりました、東京下落合にあります、財団法人「日本心霊科学協会」。当時、こちらの常任理事をされていました中西旭先生のお若い頃のエピソードを書かせていただこうと思います。

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まだ十代だった先生は、不治の病(結核…と記憶しています)に掛かり、離れの部屋にて、お手伝いさんと二人っきり、周囲には、余計なものは何一つなく、そのまま、床に伏せていたそうです。


動くことも出来ず、寝たきりで、作ってもらったお粥を、口に運んでもらっても、のどを通ることなく、気力も体力も、ただただ、衰えていくばかりだったそうです。


(自分はこのまま死んでいくんだろうか…)


そう思いつつ、何げなく、目を庭にやると、それは中西先生のよく知る庭ではなかったと言われます。


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今まで自分が見てきた、草木や花々、池や庭石などのすべて。
中西先生が仰るには、この世の世界のすべてがキラキラと光っていたというのです。


(みんな生きている…すべてのものは、光り輝いている)


そう思った瞬間に、それまで消え逝こうとしていたご自身の身体から、何か不思議な力がみなぎってくるのを感じられたそうです。


(私も…生きている)


そう思った時、それまではまるで興味を失っていた、目の前のお粥が、なんだか食べられるような気がした。


それでお手伝いさんに言って、お粥を口に運んでもらった。。


食べられた。


もう一口…


また!食べられた!



中西先生は、こうして、死の淵から生還されたのだそうです。

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ちなみに、、

私が中西旭先生に出会ったのは、先生が御年88歳の時。


先生には、その後、何度も霊山に引率いただきました。


稜威会の会長であられた先生は、山中で滝に打たれた姿も、もちろん見ましたよ。


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しかしそれ以外にも、先生には、超人としてのエピソードが多々ありまして、、


東京駅で待ち合わせをして、あるお宅に向かった時に、乗り換える電車のホームを間違えてしまったんですね。

すぐに先生と隣りのホームの階段(当時、エレベーターなどありませんでした)を上がっているうちに、電車が入ってきた。


「先生、電車がきました」


「そりゃいけません!」


僕は先生が88歳の老人だということを、すっかり忘れていたのですね。


先生はなんと!私の前を、若いサラリーマンがやるようにスーツ姿のまま駆け上がって、飛び込み乗車したんです。飛び込み乗車!88歳ですよ!(運転手さん、車掌さんごめんなさいm(_ _)mわたしです)


電車の出発には、なんとか、間に合いました。

ところが、先生の息は大変荒くなっている。


僕は!
(いけない!僕は、先生を殺してしまった!)とその時思いました。


ふー!!
ふー!!!


車内に座っていた人たちは、先生のあまりの迫力に、何ごとが起きたかと思い、すぐに、3人がいっぺんに席を立ちました。

ふー!!
ふー!!!


しかし、その直後、先生の息は、何ごともなかったように、静待っていったのです。(呼吸法だったのですね)


そして、


「寺千代さん、さぁ、席が空きました。座りましょうか」

「はい…」


そんなことがありました。



先生は、私を大変可愛がってくれました。
(先生からは、私に大切なお話しをしていただいたのですが、それはまた別の機会に…)


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その後、しばらくして、先生は、奥様が予言されたままに、ピッタリ100歳で身罷られました。


神社本庁教学部顧問、中央大学名誉教授、商学博士という輝かしい経歴を持つ先生の、僕は直接のお祓いも受けたし、生の講義をお聴きする機会にも恵まれました。


神道界の歴史的名著「神道の理論」(戦後の神主さんの教科書)は、人が「生きる」ということ、命ということ、また八百万の神という概念をつぶさに著した言霊の連続であります(Amazonのカスタマーレビューには、私が書いた詳細があるので、そちらをお読みいただきたい)。

 

 



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なお、当時、私の友人で、霊感の強い者がおり、何もいわず、先生の名前だけを書いて渡したら、「あれ?この人は、ずっと若い頃に亡くなっているはずだけれど」と言っておりました。


先生は確かに、あの日の出来事から、人間がそっくり入れ替わってしまったかのように、先ほどのような強靭な肉体と精神、さらに頭脳の持ち主となったということです。


人が「運命を超える」というのは、こういうことである。


それはもう、巷の開運の法では決して太刀打ち出来ない、神わざであるのだ。




寺千代(横須賀の声優・朗読家、4オクターブ、七色の声)