ツインレイ界隈では、

「手放し」というのが

1つの大きなテーマとして

語られることが多いですよね。

 

この手放し、1度だけではないとは聞きますが、

実際に何段階にもおいてやってきました。

 

まず最初の頃は「手放し」が何であるかも

よくわかっていませんでした。

 

彼を手放すなんて恐ろしくて

とんでもないと思っていました。

 

その後に「手放し」ということが

やたら気になる時期が来ました。

なんとかして手放そう、

どうしたら手放せるのか、

そればかりを考えていました。

 

このころは「手放し」ということに執着している(笑)

という時期だったように思います。

(結果、もちろん手放せないw)

 

 

でも、これもすべて必要なプロセスだったと思います。

ツインレイプログラムって、

本当によくできているなぁって思います。

プロセスをすっ飛ばすことはできず、

ちゃんと自分の段階に併せて、

理解できること、腑に落とすことができることが

一つずつやってきて、向き合わさせられ、

クリアしていく。

 

情報も、それに合わせて必要な情報がもたらされる。

見えない存在達がおぜん立てしてくれていることを

実感する瞬間が沢山あります。

 

(よくできているとは思いますが、

本当に足を踏み入れたことを後悔することが

何百回もあるプログラムです。

足を踏み入れたが最後、引き返せないのでとっても苦しいです。

喜びも沢山あるけれど、正直メンタルかなりきついです。

知らなきゃよかった、

あのまま平穏に暮らしていたかったと頻繁に思います。

ツイン女子の皆様なら深く共感していくださるのではないかな?)

 

そして、手放しは手放そうと思ってできるものでなく、

自然に訪れるもの、というのは本当でした。

 

 

私に訪れた1番最初の大きな手放しは、

諦めでもなく、投げやりでもなく、

最も恐れていたことが実際に起きた瞬間、

「わたしにできることはもう何もない!」

(と思っていただけで、実際にはある)

「彼が幸せになるなら、もうそれでいい!」

そんな心境になった時に、

自然に一瞬で訪れたものでした。

 

だから苦しさはなかった。

むしろスッキリした。

 

ただ、それは単なる最初の一歩にすぎませんでした。

 

その後も、1か月後に更なる深い部分の手放しが起き…

そしてその2が月後にまたもう一段回深まった手放しが起き…

そして彼との連絡が再開した。

 

…が、ここで終わりではなく、

更に手放しが続くのということを

ようやく悟りました。

 

彼とお互いの夢の確認を行った後、

そして私が遠回しにでも気持ちの開示を求められ

それを開示した直後、それはやってきました。

 

 

ここ1週間半ほどモヤモヤが続いていました。

こういう時は、私に取り組むべき課題が来ている時で、

体感としてはモヤモヤとして感じるものの、

最近は抽象度が高くなりすぎていて、

簡単にはなににモヤモヤしているのか

よくわからないことも多々あります。

 

こういう時はいつも、

彼とのやり取りもストップします。

 

そして昨日、

初めてこんな境地に行きつきました。

 

これまでどうしても

彼と恋愛関係を捨てきれずに

こだわっていたけれど、

もう私にとって一番嫌なことは、

彼と私が魂の望みに沿って生きられないことであり、

二人がやると決めてきた使命を

一緒にやれないことだって。

 

それに気づけたとき、

こんな風に思いました。

 

「彼が今の家庭を手放せなくって、

大切にしたいなら、

私もまるっとそれごと大切にする。

してみせる!}

 

それは実際には簡単なことではないのかもしれない。

でも、過去生で何度も繰り返してきたように、

自分の本音を偽って、

運命や社会の常識にあらがえずに

犠牲者の振りをして

二人が一緒に生きていくことを諦めてきた歴史を

もう二度と繰り返したくない。

 

どんな形でもいいから、

今回は共に生きていきたい。

 

それ自体が執着なのかもしれないけれど、

恋人じゃないと嫌だとか、

奥さんになれなければ嫌だとか、

そういった想いを手放しても、

どんな形でもいいから一緒に生きていくことが、

一緒に生きていかないことに比べたら、

自然だって思ったのです。

 

そうなると

それが怖れからであれ、エゴであれ、

彼が今、大切にしたいと思っているものは

私も大切にする。

 

それだけだと思いました。

 

彼と一緒に夢を叶えるためのビジネスをする。

これまでも冗談めかして話したことは

何度かありましたが、

そのプロポーズを近々本気でしてみよう。

 

そう自分の想いが行きついたことが、

自分的には驚きでしかなく、

私に不足している、もしくは拗らせていた女性性の

癒しを追及した結果、

私の魂が本来持っている男性性の逞しさが

結局は私のありのままの姿であるように思いました。

 

この女性性に関する自己肯定感をとりもどすのには、

ツインフレームっぽい夫が

大きな役割を果たしてくれたのですが、

それについてはまたどこかで書こうかなと思います。