“多くの人が社会人として初めての給料を手にする季節です。初月給といえば、この春定年となった私にも思い出があります。2018年に母が亡くなった時、実家を継いだ兄が母の部屋を片付け、形見分けをしました。その時、思わぬものが私に手渡されました。大学卒業後すぐに勤めた愛知県庁の初任給の一部、1万円でした。
 「徹初月給」と袋に手書きされた文字に、母の思いを感じました。12万円余の中から1万円を渡したのですが、しばらくは仏壇に置いてあったことは、うっすらと覚えていました。それを手付かずで大事にしまっておいたようなのです。思いがけず戻ってきた私の初めての給料の一部。まるで玉手箱を開けたように当時の記憶を呼び戻しました。”(5月3日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の公務員・本多さん(男・61)の投稿文です。初月給の一部を母親に渡した。そのお金が使われないまま残され、形見分けとして我が身に返ってきた。こんな話があるのでしょうか!、そしてあるのですね。小説のような話ですね。子供から貰ったものは尊くて使えない、嬉しくて大切に保存しておく、これが母親でしょうか。母親というのはこういうものだから、子供はいつまでも母親を慕う。これが一般的でしょう。
 そして父親は出る幕もない。わが家でも妻は何かあると子供や孫にお金を渡している。死んでから渡すよりも今のうちがいい、と言う。確かにそれはあろう。だからボクは何も苦言は言わない。でも稼いでいるのはボクである。
 

 

 “江戸時代初期に木曽川支流の氾濫を止めるべく、人柱となって濁流に身を投げたとされる村民を供養する会が4月27日、一宮市起にある人柱観音菩薩像の前で開かれた。奉賛会によると、人柱になったのは与三兵衛という男性。現在の同市起などを流れる支流が氾濫し、堤防の建設が難航した際に、自らいけにえとなって氾濫を止めたという言い伝えがある。像には与三兵衛とともに濃尾大橋の工事で亡くなった作業員3人がまつられ、毎年供養を続けている。
 この日は会員ら26人が参列し、読経の後に1人ずつ焼香をした。奉賛会の大津純会長は「皆さまのおかげで、今年も供養会ができたことに感謝する」とあいさつした。”(5月2日付け中日新聞)

 記事からです。この人柱観音菩薩像は見に行ったことがありますし、一宮友歩会の今年12月の例会でも行くことにしています。人のために犠牲になった行為は貴いでしょうし、そしてそれをいつまでも供養して行く人の気持ちも貴いと思います。日清・日露戦争や第二次世界大戦の戦没者の慰霊祭はまだいろいろな地域で行われているでしょう。そうした慰霊祭を行いながら、感謝すべき所では感謝し、また二度と間違いを行わないように心すべき所ではまた気持ちを新たにすることでしょう。こうした行為は我が身を振り返る機会にもなります。
 さて時代はどんどん変わっていき、人心も変わっていきます。こうした行為もいつまで続くでしょう。最近はボクのまわりでも、第二次世界大戦の戦没者記念碑が次々無くなっています。わずか80年前の戦争です。そして戦争ができる国に変わっていこうとしています。
 

 “外出先でぬれた床で足を滑らせたり、物につまずいたりしての転倒には気を付けたいと常々思っていた。そんな折、知り合い2人がそれぞれ、コンビニ駐車場の車止めに足を引っかける、銭湯の脱衣場で転ぶといった事故に見舞われた。どちらも打ち身程度だと高をくくっていたら骨折していた。
 ある日、私は自宅周りに敷いてある砂利の上にポイ捨てされたペットボトルを見つけ「もお!」と拾おうとして地面に足を取られた。とっさに手をつき、とがった石でけがをしたのも手のひらだけで済んだもののペロリと皮膚がめくれた。顔面から突っ込んでいなくて良かった。私も体のバランスが崩れ始めているなと感じた。”(4月29日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦。吉田さん(64)の投稿文です。高齢者に転倒は、最大の危惧であろう。転倒で骨折でもすれば、場所によってはもう今までの生活ができない。歩けなくなれば、体は弱り、認知症にもなりうる。人生が終わってしまう原因にもなる。出かけてばかりのボクも最大に注意している。絶対の転んではならない、ボクはまだ引っ込めないのだ。
 妻も同じ気持ちであるはずだ。ところが先日旅行中に、転倒したのである。それも水路に落っこちたのである。カメラを覗きながら動いて、水路に気づかなかったのである。これも起こしがちな行動である。旅行中である。下半身はずぶ濡れである。そして骨折はなかったようで、あまり人には気づかれず、騒ぎになることはなかった。だが、帰ってみてみるとお尻辺りがかなりの打撲で、血がにじんでいる。気をつけていても何かの弾みと言うことがある。ともかく気をつけて、転倒しないように願うだけである。
 

 “新入社員が期待を胸に社会人としての一歩を踏み出す4月だが、想定していた働き方と入社後の実態のギャップを感じてか、本人に代わって会社に退職の意思を伝える「退職代行業者」に依頼が相次いでいるという新聞の記事が目に留まり、がくぜんとした。
 確かにイメージした仕事ではなかったかもしれないが、ある程度長く働かないとその仕事のやりがいが分からないと思うからだ。私も長年、事務の仕事をしてきたが、勤務先が廃業したために再就職し、やむなく事務以外の仕事を選び、戸惑った経験がある。仕事を繰り返しこなし、身に付け乗り越えた。若いうちは失敗を恐れずに経験を積むことが大切だ。”(4月29日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の西田さん(女・66)の投稿文です。ボクも退職代行業の話にはびっくりしました。こんなことが仕事になるのか。嫌なこと、面倒なことは人に頼む。就職するまでにはいろいろな人に手を患わせている。それを辞めるのに自分で伝えず、他人に頼む。ボクの感覚では、これは道義に反する、許されない行為なのだが。人間とは、人との関わりの中で生きていくものだと思っていたが、これではもう社会は成り立たない。楽に済ませればいい、お金が儲かればいい、これも時代なのであろうか。もうボクらの感覚は通用しない。
 石の上にも3年、これももう通用しないようである。やりたいことをする、これはいい。でもやりたいことをどうやって見つけるのか。いろいろ体験して、分かってくるのではなかろうか。
 

 “知立市の「史跡八橋かきつばたまつり」(25日~5月19日)と「知立公園花しょうぶまつり」の開催を前に、石川智子市長ら10人が21日、中日新聞社を訪れ、祭りをPRした。
 かきつばたまつりは約70年の歴史を持つ。最盛期には、会場の八橋かきつばた園(八橋町)で紫のじゅうたんのように咲き誇る花を見ながら散策できる。花しょうぶまつりは知立公園 (西町)で開かれ、昭和30年代に明治神宮(東京)から下賜された約60種を楽しめる。カキツバタは5月上旬、ハナショウブは5月中~下旬に見ごろを迎えるという。
 同市観光協会の本多正幸会長は「今年は両方の開花時期が重なることが期待されるので、同時に観賞してもらえたら」と話した。”(4月25日付け中日新聞)

 記事からです。一宮友歩会の6月例会は知立市の史跡巡りである。6月7日の例会日は花ナショウブまつりの最中である。当然この花の時期を考えて例会を企画した。
 4月19日、この6月例会の下見に7人で出かけた。雨天時の昼食場所を探していて、在原寺に行き着いた。そこではちょうどお茶会が開かれていた。「お茶をどうですか」と声をかけられ頂くことにした。親切な言葉である。そして抹茶を頂きながらいろいろ話を聞いていた。そこへ市会議員のバッチを付けた人が来られた。隣の女性が市長さんと紹介された。今日来た目的を話しながら、一宮友歩会の年間計画の資料を渡してPRもした。ありがたい出会いである。その数日後にこの新聞記事である。当然目が行く。こういう偶然は全く楽しい。これだから一宮友歩会は止められない。さて6月7日の例会、どうなるであろうか、より楽しみになってきた。
 

 “正方形の升目に数字を書き入れる「数独」を始めた。加齢による心身の衰えの「フレイル」の予防にと本紙朝刊の「やってみよう!数独」に挑戦している。「入門」は簡単だが、「初級」は解答にたどり着けないことも多い。「中級」に至っては、鉛筆で数字を書いては消してを繰り返しても解けないことが大半だ。
 解答を導く手順を簡単に繰り返せるようにするために、小型のホワイトボードにペンで線を引き、9×9の升目を作った。さらに細かく切った磁石のシートに1から9までの数字を書いた。ボード上で数字を自由に動かし問題を解くようにした。これで修正が楽になり、頭と指先の体操に役立っている。”(4月22日付け中日新聞)

 滋賀県米原市の田辺さん(男・76)の投稿文です。数独にハマっている人は結構多そうである。電車の中でも一生懸命な人をときおり見かける。認知症やフレイル予防に効果があるという話もある。高齢者にはまず楽しければそれはそれでいい。それがまた別の面でもいい効果あればより良かろう。頭を使うのである、悪いはずはなかろう。そしてたかが数独である。田辺さんの努力はいかがばかりであろうか。ホワイトボードに磁石のシートである。ボクにはこの努力が数独をやる以上の効果に思える。何事も工夫する、これは大切なことである。
 ボクの妻はもう長いこと新聞掲載の数独をやっている。そしてボクも昨年くらいから始めた。それは近くの中日新聞販売所の運営するお出かけ広場で月1回数独をやってくれるからである。この広場に出かけるようになってもう1年半くらいになるが、数独はまだ数回である。コツも教えてもらった。ただ今のところ残念なことは、この時やるのみで、家では全然しないことである。もう少し余裕ができ、また時間を持て余すようになれば一生懸命になる時期も来ようか。
 

 “「この日が迎えられて嬉しい!」。昨年買った3年日記の2年目の今日、4月1日にこう記した。昨年の3月、今まで綴ったた3年日記が終わり、新しい日記帳を買おうと名古屋の栄地下街の書店を訪れた。棚に並ぶカラフルで多様な日記帳を前に、どれにしようか迷った。節約志向の強い私は、それ以前は躊躇なく3年、5年と長期間の日記を選んだものだった。書き始めたのは36年前の結婚記念日からで、一日の出来事を記すことが日課となり、休むことなく書き綴った。しかし今回、1年か3年か迷ったのだ。ポケットには、以前、本紙の「くらしの作文」に採用された折に頂戴した図書カードが、今か今かと出番を待っているのに。
 実は、私はがん患者。しかも悪性の膵臓がん。一昨年の7月に見つかり、手術もできず余命半年から10カ月と告げられた。抗がん剤治療しか選択肢がなく、その副作用の辛さに耐えながら、細々と命を繋いできた。
 逡巡しながら、ふと友人の言葉が脳裏に浮かんだ。「寿命は誰にも分からないし決められない」。そうだ。途中でもいい。その時が来るまで一日一日を精いっぱい生き、書き続けよう。さあ図書カードの出番だ。3年日記を手に取り、意気揚々とレジに向かった。そして今日から2年目の日記が始まった。”(4月19日付け中日新聞)

 名古屋市の赤塚さん(女・80)の投稿文です。余命半年から10カ月と告げられた人が何年日記を買うか?そんな投稿である。1年に満たない余命である。そして最後は日記を書くどころではなくなるかもしれない。でも赤塚さんは3年日記を買われた。そして2年目に入られた。3年日記を買われて正解であった。
 この話は何を意味しているのだろう。治療が難しい膵臓癌である。私の知人も最近膵臓癌で、医者が言われるような短期間で亡くなった。「寿命は誰にも分からないし決められない」、これは事実である。余命何ヶ月と言われた人が、何年も生きられることもあるし、健康でいくつまで生きられるだろうと思っていた人が、コロッと亡くなる場合もある。と言っても赤塚さんは膵臓癌である。ある程度みえていると言ってもいいだろう。でも、3年日記を買われた。そして言われた期間を大分過ぎているだろう。病は気からと言う。3年日記を買われた気持ちが幸いしていると思いたい。やはり気持ちは大きいと思う。ボクは倒れられない、あと20年と思っている。
 

 “3年前、通院していた自宅近くの医院で、同姓同名で生年月日も同じ人と友達になりました。その人は女性で同じく通院していて、よく会うので、話しかけてみたら、だんだんと打ち解け合い、いろいろと話す中で、同姓同名で生年月日が同じということが分かりました。電話番号を交換し合い、一緒に出かけるぐらいに仲良くなりました。―人暮らし、持病、自宅も近くで、友人が少ないなど共通点が多かったです。
 一昨年3月、彼女が「桜が見たい」と言うので、地元の中学校の正門前の桜を見に行きました。その時、彼女は持病が悪化し、体の自由が利かなくなっているようでした。私が持って行った三色団子を一緒に食べ「おいしいね」と喜んでくれました。これが彼女との最後の思い出です。この春も中学校前の桜はきれいでした。彼女にも見せてあげたかった。”(4月19日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・沢田さん(74)の投稿文です。同姓同名、誕生日も同じ、この話は以前聞いたことがり、「話・話」 でも取り上げた気がしていましたが、見つけることができませんでした。でもあり得る奇跡ですね。お互いびっくり、近親感を感じられたでしょう。そして当然のように交流が始まった。でも知り合って3年ばかりで亡くなった。分身をなくした気持ちではないでしょうか。
 同姓同名、誕生日が同じか近い、これは当然でしょうが、学校が同じ、住んでいる地域が近い、こんなことでも近親感を感じます。人は人を求めている、人は一人では生きていけない、また寂しいものだからでしょう。でも最近の世の中の流れは、直接会うことを避け、SNSなどに頼っている。言葉の上だけの交流は、何でも話しやすい。でもいくらでも繕えるし、勘違いも起こりやすい。そして事件も起きる。ここはやはり賢明な判断、手段が必要と思います。
 

 “2004年、大学時代の女子の友人が49歳の時、交通事故に遭い亡くなった。喪失態が大きく、しばらくは彼女の名前を口にすることすらできなかった。お別れの会では彼女を慕う多くの人が集まった。その後も親しかった人たちが彼女の誕生月に集まり、思い出を語る食事会が始まった。
 4人の娘さんたちは皆、成人して、お母さんになった。食事会には娘さんたちをはじめ、彼女が亡くなってから生まれた娘さんの子どちらも出席してくれる。この子どもたちは私たちにとって孫のような存在で笑顔を見られるのは何よりうれしい。娘さんとその子どもたちを彼女の代わりに、ずっと見守っていきたい。”(4月19日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・林さん(70)の投稿文です。親しかった友人が交通事故で亡くなり、親しかった友人でその子供さんらを見守り続けてきた。友人の誕生月には食事会を開き、子供さんらも参加し、そうして21年が経った。麗しい話である。結構ありそうな話の気がするが、子供さんも入れてとなると珍しいだろう。亡くなった人の人柄が良かったし、その友人らの人柄も良かったであろう。だからこう言う話ができてくるのであろう。
 ボクはこういう話にはあまり縁が無いが、妻にはありそうである。妻は毎月3~4回、お茶会と言って喫茶店に出かけている。ほとんどはPTA役員を一緒にやった仲間であるようだ。中学校のPTAで一緒にやった人が亡くなっている。その人の祥月には、毎年揃ってお墓参りをしているようである。小学校も高校もPTA役員仲間で集まるのはもう何十年である。妻の大きな楽しみである。周りを見ていてもここらが男と女の大きな違いである。
 

 “コロナ禍以降、自粛を重ねてきた趣味のカラオケ喫茶での歌唱を3月末に再開した。約5年、家族から感染を懸念され、おおっぴらにマイクを握ることができず、鬱々とした日々が続いていた。以前は近所から県をまたいだ地域まで10軒以上の行きつけのカラオケ喫茶があり、それらの店へ出かけること自体が楽しみだった。しかしこの5年間で廃業された店も多く悲しい限りだ。最近よく行く店は、以前足しげく通ったお店を思い出させてくれる店構えで、気に入っている。
 不特定多数のお客さんの前で持ち歌を披露する緊張感、そして達成感は、体が覚えていた。ほめられるとお世辞であってもうれしい。これからもマスク着用と消毒液持参でカラオケ喫茶通いを続けたい。”(4月18日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の山内さん(男・59)の投稿文です。山内さんはかなりの歌上手のようである。10軒以上のカラオケ喫茶へ行き、他人の前で堂々歌い上げ、喝采を浴びてこられた。それがコロナ禍で中止となりやっと解禁された。嬉しいであろう。そして歌を歌うことはまず楽しい。そして大きな声を出すことは健康上も非常に良い。得意な人を羨ましく思う。
 ボクも全くカラオケを歌わないわけではない。宴会があればほとんど場合、数曲は歌う。歌はほとんど昔のもの、青春時代にはやったものが多い。最近の歌は全く知らないから、当然である。3月29日付け第3819話「舟木一夫さん」でも書いたが、舟木一夫の歌を歌うことは多い。ボクもコロナ禍前にグループで、月に1回ほどカラオケを歌いに出かけていた。そして中止になっていた。そのころの世話役をやっていた人に、再開してくれることを頼んでおいた。そして4月29日に再開した。6人が集まった。6人のうち4人は90歳前後である。ボクは年に数回するのかな、と思っていたが、なんと毎月になってしまった。ビックリである。そしてボクの都合で日にちを決めることになった。と言うことはボクが参加できる日である。休めない。大変なことになったが、新たな楽しみが増えた事でもある。男性はボク一人である。