“たたきつけるような雨は勢いを増し、玄関前は川のようになっていた。広報車が避難を呼び掛けるのが辛うじて聞こえる。半分寝たきりの父を抱え、母と三人で役場二階に避難できたのは深夜だった。幸いにも横になれる場所がありひと安心したものの、避難所には次々と人が到着し、あっという間に廊下や階段も足の踏み場もなくなった。
 ふと見ると、湿った階段踊り場に妊婦さんが一人で力なく座っている。臨月と分かる大きなおなか。小さな荷物一つ抱え、慌てて避難されてきたのだろうと想像がついた。この避難がいつまで続くか、高齢の両親のそぱにいてやらねばと、自分の都合が頭をよぎり、すぐに声を掛ける勇気がなかった。
 十分ほどして、やはり自分の席を譲って差し上げようと行ってみたが、すでにその場にいらっしやらなかった。他の方が席を譲ってくださったのか、役場の方が助けてくださったのかは分からない。今でもたくさん雨が降る夜は不安になる。そしてあの時、すぐに席を譲れなかった己の弱さを思い出しては、いまだに後悔し続けている。あの妊婦さんは、あの混乱の中、無事に出産されただろうか。もしご無事なら、お子さんは今年二十歳になられているはずだ。”(9月7日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市のパート・小島さん(女・48)の投稿文です。東海豪雨は 2000年 ( 平成 12年) 9月11日 ~ 12日 を中心に 愛知県名古屋市 およびその周辺( 中京地区 )で起こった豪雨災害である。今年でちょうど20年である。ボクは、小島さんほどではないが、少なからずその影響を受けた。伊勢湾台風以来の大水害である。11日夕方、職場を出るときはまだそれ程ではなかったと思う。途中で電車が止まり、その後歩いたりタクシーに乗ったりしてほうほうの体で帰宅した。田畑は水浸しとなったが、家にはそれ程の被害はなかった。幸いの方であったろう。
 小島さんは避難された。その時の体験である。とっさの場合、何を思い、どう動くか。その結果どうなるか。このとっさが大きな分かれ道になることもある。小島さんは未だに後悔し続けていると言われる。こう言っては申し訳ないが、たかが知らない人に席を譲らなかっただけことである。それだけ誠実な人である。人間ことあるごとに判断をし、行動をしている。日々どころか時々刻々である。そうした中にとんでもない大きなことが生じている。例えば交通事故に遭うか、避けられるか、一瞬の判断である。こう考えると、日々平穏に過ごすと言うことは、とんでもない幸運に恵まれ素晴らしいことである。話はかなりそれたが、日々平穏はまず感謝すべきことである。最近は全国で東海豪雨並みの災害が多く起きている。心の準備だけは怠らないようにしておきたいものだ。それがとっさの判断になる。