左手、右手の出しゃばりに負けるな。
言い方変えればそういうことなんですが。
剣道で、上手くいくのか?と考えて、あれこれ試行してみたつもりだったが、目立って何か気づくようなことがなかった。
そして・・・
翌日の晩、居合道の稽古。
前週の稽古でなんとなく手応えがあった。
同じように、そして確かなモノに、そう考えて稽古。
ところが、だめ。
また右手が出しゃばる。
出しゃばるな、って言ってるだろうっ
って、運動神経を掌る自分の脳、脳と連携を取る筋肉の数々、これまでの関連性が出てきてしまって、左手主体の感覚にならない。
まったく、脳と筋肉、ほんとこれまでの関連性が、いわばズブズブの関係で、「いままでこれでなんとか動けてたじゃん」という感覚のままになっている。
ふむ・・・
自分の身体って、変わっていくのは大変だなぁ。自分の身体だけに難しい。
手で何かを持つ
上下に動かす
歩く・・・
できてしまうから、当たり前のこととして、悪い癖があったとしても気づかないで「やれてしまう」。
こっちのほうが効率がいいから
この動かし方の方がスムーズだから
何かのきっかけで、そう思ったとしても、その思考、動きを受け入れたとしても、これまで続けていたズブズブの関係を崩していくのは至難の業。
単純な話のように見えて、一筋縄ではいかない。
それが自分の身体、意識、感覚・・・
何言ってるのか、分かりにくいと思いますが・・・
字を手書きすることを思い浮かべていただければ、分かるかもしれません。
私もくせ字で直そうとするんですが、身を入れてやらないもんだからちっともよくならない。
ただ、時々、こう書けばキレイに書ける、何も考えずに書いたらふっといい線がかけた。
でも、続けて書いていると、自分のクセがちっとも直ってない。
手本を見ても、よしこう書いてみようと考えても、すぐに達筆になることはない。
そういう状況。
なかなか難しいものです。
自分の身体、その動きは自分で直していくより他ない。
あ~、それから、トレーニング、稽古というモノ。
繰り返していれば、反復すれば上手くなるのか?
繰り返すこと、反復することは必要なんだけれど、どのように繰り返すのか、反復するのか?
なんか、世の風潮は、「気持ちを強く」とか、根性論を言い換えたモノが多いような気もしています。
なんか違うんだよなぁ、それも。