私の意見としては、
九九は美しい😆
そこから、また考えが進んで。
割り算
のこと。
割り算が美しいかどうかはさておき、
割り算でつまずく方は多くいらっしゃいます。
「とにかく、こう計算すりゃいいんでしょ」
と割り算だけに割り切って🤣
計算だけは出来るようにされた方も。
まぁ、私もそんなような感じで切り抜けて先へ進んじゃったように思います。
その割り算で、つまずいてしまう場面は。
分数の割り算
小数の割り算
これは私もタダの計算方法として考えていたのですが、大学も卒業して何年も経ってから
「あぁ、こういうことだよね」
という気づきがあって。
もともとの教え方、
割り算の出発点が悪いのだ、と。
たとえば
10÷2=5
この割り算は「10を2つに割ると5と5に分けられる」と教えますが。
これが応用が利かない。
発展性がない。
つまり、割り算の本質じゃないんですね。
そのため、小数で割る、分数で割る、という場面で破綻してしまう。
それから「余り」という考えも、この割って分けるではうまく説明できない。
誰もが「なんのこっちゃ?」となってしまう。
(最終的に、「いいから覚えろ」という美しくない状況になる…)
割って分ける、これがダメなんですよ。
割り算って、そういう意味じゃない。
では、どういうことか・・・
10÷2とは、
10の中に「2」がいくつ入れられるか。
これが正しいと思います。
「10という数」には、「2」が5つ入れられる。
「割って分ける」のではなく「割り入れる」とでも言えば良いでしょうか。
そうすると、全然破綻しない。
1÷0.5
「1という数」に「0.5という数」は、「いくつ割り入れられますか?」と聞いてる。
答えは「2」となります。
分数で割る、ルートの付いた数で割る・・・全然破綻しないです。
分数をひっくり返してかけ算にする、この計算方法を編み出した人は、誰なのか私は存じませんが、こういうアイディアを出す人こそ天才だと感じます。
「余り」に関しても。
たとえば7÷3=2、余り1。
「7という数」に「3という数」を割り入れると、2つ入り、1余る。
すっきり説明できると思います。
さらに。
また違った言い方、考え方も出来る。
先ほどの例、10÷2=5。
「10という数」は「2」を単位(1つのまとまり)としたら、いくつに見えるか?
答えは「5」である、と。
数の単位を1から別の数字、どんな数字にも「変換」できる。
単位の変換が割り算のもうひとつの見方。
7÷3=2.3333…
これも、7という数は3を単位にしてみると、2と1/3である、と。
(余りの「1」は、「3」という数の1/3、ということ)
これが「余り」を出さずに、小数まで求めていく意味、と考えることが出来ます。
さらに、さらに。
割って分ける、これも実は間違いとは言い切れない。
(いったい、なんなんだー🤣)
速さなど、変化を表す場面ですね。
10mを2秒で進んだ、1秒でどれだけ進んだか。
10÷2=5
1秒で5m進む速さである、と。
これこそ、割って分けるの考え方。
「変化」を扱う場面で「割って分ける」の考えが出てくる。
巡り巡って
「10個のリンゴがあります。2人で分けるには何個ずつかな?」
という計算方法にも行き着く、と。
割って分ける、というのは後から説明した方が良いと感じます。
これも、割り入れるという思考で一貫して考えるなら
10÷□=2
として、ちょうど2人で分けるには、いくつで割り入れればいいかな? という教え方も可能かもしれません。少々ややこしくなり、方程式な思考が必要になっちゃいますが…)
というわけで、小数や分数の割り算で説明が破綻しないためには、「割り入れる」から入っていくのが良いように思います。
ただ・・・
物事の説明って、説明を受ける人も千差万別で、どこから入るのがベストか、というのは難しい問題です。
私の解釈もせいぜいベターか、まぁグッドくらいなのか・・・
私には判定できず、よく分かりません。
いずれにしても、小学生に計算を教える、というのは、大変難しコト、困難を伴うものだと思います。
特に割り算は、解釈というか意味がさまざまある。
どれも割り算。
難しいのは当たり前かもしれません。
小学生くらいに、「いろんな意味があるだろ」「様々な使い方がある」と教えたら余計に混乱しちゃうでしょうね。
小学校の先生方、お疲れ様です。
第2の小〇今□子のような子が現れませんように🤣
いや、自分の理解が及ばなかった、という姿勢、態度なら私も異論ははさみません。でも、理解できる人もいる、教養として身につける努力をするものを「九九は美しくない」とか、自分のせいじゃない算数の方が悪いんだ、みたいな言い方をすることが気に入らないんです。しかも社会に対して発言力がある立場であることもわきまえていない。ほんと、良くないことだと思います。