1月27日のブラタモリ。
栃木県足利市がテーマでした。
足利市、今まで聞いたことはあっても注目したことは全くありませんでした。
足利市のみなさん、申し訳ありません・・・
で、番組を見ていて、ある場面から私の意識は足利市の話から、一気に山梨に向いてしまいました。
それは、足利氏の館、現在の鑁阿寺(ばんなじ)。
この周辺の地形が模型で示されたときのこと。
GoogleMapで、鑁阿寺周辺の地形を見たものが、これ。
えっ
これ、見たことがあるっ
行ったこともない足利市、その地形を見て、なぜ見覚えがあると思ったか・・・
そう、甲府盆地で武田氏が居城とした躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)、現在の武田神社周辺と共通点だらけだったんです。
武田神社周辺の地形がこちら。
三方に山、そして山は幾重にも連なっている。
山が開けた方向には川がある。
足利の地形を見てタモリさんは
「京都と一緒だ」
と仰っていました。
私は
「甲府と一緒だ」
とテレビの前で声をあげていました。
現在の武田神社は武田信玄の父、信虎が躑躅ヶ崎館として武田氏の本拠地としたところ。
以前、ブログにした甲斐国分寺。
こちらは扇状地の中程で、甲府盆地が一望できる場所でしたが、戦となったら防御となる地形は全く見当たりません。
四方八方がら空き状態。
信玄の父、信虎は甲府盆地の中で防御に適した場所を探し出して、それが躑躅ヶ崎だったんでしょう。
GoogleMapで、甲府盆地のあちこちを見たんですが、やはり躑躅ヶ崎が適地。
他に、似たような場所がないわけではないですが、川が細かったり、山に周辺国との街道があったり、信虎の目に適地と映るような場所は見当たりませんでした。
平安後期から戦国期の大名は戦を想定して、同じような地形を選び出して居城を構えたんですね。
そして足利市にしても甲府市にしても、その支配者、大名の作った町並みを現代まで受け継いでいる。
その町がなぜそこにあるのか、ちゃんと理由があり、歴史は現代まで途切れずに続いている、ということなんですね。