このブログには、この一週間でたくさんのコメントをいただきました。ご家族の立場の方、ほかの臓器のがんを経験された方、健診で指摘されてずっと読んでくださっていた方。
一つひとつ、自分の言葉で返事を書いています。
でも、いま作っている経過記録サイト(けいかろく)には、返信の機能を作りませんでした。誰かの投稿に、言葉で返すことはできません。今日はその理由の話です。
「大丈夫ですよ」は、誰にも言えない
いただいたコメントの中に、こういう問いがありました。「自分は、がんなのか。検査で分からないのか」。
私には、答えられません。
同じ病気の人どうしが集まる場所では、善意の返信がつきます。「私も同じ大きさで、5年変わっていませんよ」「きっと大丈夫」。書く人に悪気はまったくありません。
でも、その人の画像も、数値も、主治医の説明も見ていない人の「大丈夫」は、ときに、受診を遅らせます。逆に「それは危ない」という一言が、眠れない夜をつくります。どちらも、言った側は、その後を知ることがありません。
資格のない人が、他人の体について「大丈夫」「危ない」と言わなくて済むように。それを、仕組みのほうで最初から起こさないことにしました。
言葉のかわりに、「わかる」
誰かの投稿を読んで、「自分もそうだった」と思ったら、押す。それだけです。数字だけが増えていきます。
アドバイスは届きません。でも、「この気持ちは、自分ひとりのものではなかった」ということは、ちゃんと届きます。結果を聞くまでの1週間が落ち着かない、と書いた人に、同じ気持ちの人が5人いた。それだけで、少し違うと思うのです。
読むのがつらい言葉は、たたんでおく
もうひとつ、作ったものがあります。
コメントの中で何人もの方が書いてくださったのが、調べれば調べるほど、怖い情報ばかりが目に入った、ということでした。膵嚢胞から膵臓がんへ、生存率へ。探していたのは、そういう話ではなかったのに。
だから、手術や悪性化について書くときは、書いた人が「折りたたんで表示する」を選べるようにしました。読む側には「手術・悪性化などについての内容を含みます」とだけ表示され、開いて読むかどうかを、自分で選べます。
手術の話を隠したいわけではありません。むしろ、手術を控えている人にとっては、いちばん知りたい話です。ただ、指摘されたばかりの夜に、心の準備なく目に入るのは違う。読むタイミングを、読む人が決められるようにしたかったのです。
このブログのコメント欄は、開けておきます
ここまで書いておいて、このブログではコメントをいただいて、返信もしています。
このブログは、私と皆さんが話す場所です。けいかろくは、同じパターンの人たちが、記録を少しずつ置いていく場所です。役割が違うので、かたちも違っていていいと思っています。
サイトの方は順調に構築が進んでいます。
明日は、私自身の膵嚢胞が「見当たらなくなった」ときの話を書きます。
