みなさま、本当にお久しぶりです。

ほぼ一年振りの更新です。

なんか、急にアメブロを書いてみる気になりまして。

 

さて、Facebookでは言っていたのですが、キム・ジヘさんの『差別はたいてい悪意のない人がする』を読んだ後、小島あゆみさんの『ALLYになりたい〜わたしが出会ったLGBTQ+の人たち』(2021年9月、かもがわ出版)を読んでいました。

僕自身、昨年来、アライになりたいと思ってはいるのですが、具体的には全く動いていない状態が続いているので、なにかしらのヒントが得られるかも、と思って読みました。

 

読んでみての感想としては、やっぱり、セクシュアルマイノリティの人たちの人権問題があるからこそアライという存在が必要になっているのだという、ごくごく当たり前なことでした。

セクシュアルマイノリティの人たちに対する無理解・差別というのがあるからこそ、理解して支援するアライというのが観念されるわけです。

ということは、アライといった理解者・支援者を必要としないマジョリティの人たちは、それが不要であるという“特権”を持っていることに気付かなくてはならないのです。

 

印象的だったのは、本の中で紹介されているとあるレズビアン女性のこの一言。

>(この女性にとってのー福嶋注)アライとは「『自分のなかに差別があるとわかっている』人、『自分には知らない世界がある、理解がおよばないこともある。でも、知ることで歩み寄ることができる』と認識できている人」。「自分とは違う立場の人がたくさんいると認めている人は、もうアライだと思います」。

 

これは、キム・ジヘさんのいう、「差別は悪意のない人がする」というのと通底しているなぁ、と感じずにはいられませんでした。

そして、障害者をめぐる人権問題を考えるにあたっても大いに参考になる視点だと思います。