9月15日が移植予定なので、あともう2ヶ月とちょっと…。

思いのほか近づいている。


仕事がここのところ忙しい。

だいぶセーブしているのだけど。


まあいいことなんだけど、ブログまで気が廻りません.。

書きたいことは山ほどあるんだけど。


最近始まった『官僚たちの夏』

子どもの頃の情景がそのまま、ドラマ化されていて面白い。

あの時代あんな感じのエネルギーがあった。

町中に、あった。

そんなことも書きたいのだけどね。

7月7日は母の誕生日だった。

もう亡くなって、何年になるだろう。

私が腎不全になって、透析してるなんて知ったら、びっくりするだろうな。


小学校2年の冬、私は風邪を引き40度近い熱を出した。かかりつけの医者に行っても3日たっても良くならない。偏頭痛がした。おしっこがすごく濃くなった。母は急性腎炎を疑った。で、医者にそれを告げ、もう少し丁寧に見てくれと言ったが、医者はただの風邪だと言い張った。それから何日かたったら(2日か3日、それ以上だったか、今となっては覚えていない)、まぶたが浮腫んできた。母は医者を変えた。やはり急性腎炎だった。


風邪に引き始め、熱が有ったのでお茶漬ばかり食べた。せんべいもぼりぼり食べた。思えばしょっぱいものばかり食べていた。

このことを母は悔やんでいた。母親として失格だと言って自分を責めていた。

そういえばこの冬、私はずっと半ズボンでいようと決めていた。考えてみれば寒かった。それで、風邪をひいた。腎炎になったのもその所為があるかもしれない。

私は私で、自分が病気になって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

母は、減塩の料理をいつも上手に作ってくれた。そして、こんな味のない食事をさせてかわいそうだといった。


その後も、よく熱を出した。そのたびに、塩断ちをして、尿タンパクを測った。思いかえせばときどき高熱がでるとタンパクが出た。ただ腎炎とまで判断されるまでではなかった。

そういえばしょっちゅう母は尿をコップにとって、光にかざしてみていた。尿が薄く、濁っていないと、母は喜んでいた。


そんな小学生時代をすごし、自分は腎臓が弱いという自覚がうまれた。だから料理の味付けはずっと薄味だった。そしてそれは、その後もずっと続いている。


そういえば小学校6年で扁桃腺を摘出した。

驚くほど元気になった。風邪をほとんどひかなくなった。

ひいても軽いのだ。

高校時代は剣道を始めた。一日8時間の合宿猛稽古にも耐えれて、健康には絶対の自信を持つようになった。

そして、食べるものが薄味であることをのぞいて、もうほとんど腎臓のことは心配しなくなったのだ。



しかし、やはりあの時の腎炎が遠因なのだろうか。

いまは、ただもう母親がなくなってからの発病で良かったな、とおもうのだ。


午後、循環器内科の診察をしてくる。

移植前に一度カテーテルで心臓周りの血管状況を検査する。

一ヶ所、シンチで血流の弱いところがある。前からわかっていたところで、ここがつまってもまったく関係ないところ、といわれているがどうしても移植担当の先生が、手術前に正確な評価を下したいという話でカテーテル検査をすることになった。

このカテーテル、たぶん細い血管なのでつまっていてもステントなどの処置をするかしないかは、まったくしてみないとわからないという。しない可能性が大なのだ。だから、あんまりやりたくないが、しょうがないね。

7月下旬か8月上旬の予定。

入院日も決まらない。ベットの空き状況によるのだと。