今、私が担当して取り掛かっている仕事がちょうど秋に制作真っ盛りとなる。

短編の映像を何本か取るという仕事。

この仕事、5月6月に制作予定だった。それが秋に延びた。

で、社内でこの仕事を仕切れる人材がいない(若干普段の仕事と領域が違う)ので、私の代わりにプロデュース兼ディレクションする友人の映像制作会社の代表にすべてを託すことにしたのだが、なぜ自分ができないかを説明しなければならなかった。

友人はびっくりしていた。まったく気がつかなかったと…。ただ、ここ数年、一緒に食事に行くことを誘わなくなったことや、最近の打ち合わせも昼間が多く、夜まったくしなくなったことになんとなく違和感があったといった。

そうか、自分は気が付かなかったが、確かに「飲みコミュニケーション」が減ったことに、昔からの友人は、ある程度小さな変化を読み取っているのかもしれない。

友人もまったく口の堅い人間だから、このことは誰にも言わないだろうが、さて、あと誰と誰に移植のことを話せばならないだろうか。


会社では幹部社員に話したが、全社員に話すべきではないと最近感じている。話したとこでびっくりするだけだ、ということに気が付いたのだ。であるなら、知らないままでいいかなと。35年社長してきたので、リフレッシュするために長期休暇をとる、ということにして…。


昨年来、かなり厳しく社員に接してきた。この秋の移植を踏まえて、私がいなくても自立して仕事ができるように育てたいと思ったからだ。結果、中途半端な人間は、ずいぶん退社した。今いる中心メンバーはそれなりに優秀である。しかし、だからといって、話てどうなるということでもないのだ。しかも最近入社した若いメンバーも多い…。


それなりに優秀といったが、しかし、仕事に対する気力や意識は、それでも病気で透析している私の方が、圧倒的に上なのだ。今の若い子達は、面白がっておもしろがって仕事をしないし、大きい難しい仕事ににチャレンジしない。そして、すぐあきらめるし、たたかおうとしない。ここを変えたいのだけど、さてどんな風に教育したらいいものだろうか。


とにかく、向こう10ヶ月、何があっても会社が回るキャッシュフローも用意できた。つまり、大変な金額を借金した。移植後に借り入れの交渉なんてできないからね。

移植への万全の体制を整えつつあるが、人の心へのフォローはまだまだこれからなのだ。


野坂昭如が脳梗塞を起こしてリハビリしていると聞いてずいぶんたつ。

その野坂さんが連句の本『ひとり連句春秋』を書いたと言うのでさっそく購入。

編集者が聞き書きしてまとめた本だか、けっこう面白い。

たぶんいろいろ言語的にも後遺症があるとは思うが、さすが野坂昭如と思わせる

付け句がするっと出て来て感心する。

野坂さんといえば、昔、大島渚監督の「大島渚・小山明子結婚30周年記念パーティー」で監督と殴り合いの喧嘩になったことがあった。あれからもう何年たつだろうか。大島監督も車椅子生活で、なにやら寂しい。大島監督は私が取締役している会社の監査役で、いろいろ指導していただいた。あのパーティーを仕切ったのは実はわが友で、私の奥さんが監督から依頼されて受付を任された。

あの時1990年、監督は58歳で、野坂さんは60歳だった。

月日の流れるのは早いものだ。



携帯電話を換えたいなー、と思ってチェックしていたら

昔の写真を複写したものが出てきた。

飲み屋で、話の種にするため撮っておいてほったらかしにしていたものだ。

ついでだから、オープンしちゃおう。


透析生活徒然ブログ










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