7月7日は母の誕生日だった。
もう亡くなって、何年になるだろう。
私が腎不全になって、透析してるなんて知ったら、びっくりするだろうな。
小学校2年の冬、私は風邪を引き40度近い熱を出した。かかりつけの医者に行っても3日たっても良くならない。偏頭痛がした。おしっこがすごく濃くなった。母は急性腎炎を疑った。で、医者にそれを告げ、もう少し丁寧に見てくれと言ったが、医者はただの風邪だと言い張った。それから何日かたったら(2日か3日、それ以上だったか、今となっては覚えていない)、まぶたが浮腫んできた。母は医者を変えた。やはり急性腎炎だった。
風邪に引き始め、熱が有ったのでお茶漬ばかり食べた。せんべいもぼりぼり食べた。思えばしょっぱいものばかり食べていた。
このことを母は悔やんでいた。母親として失格だと言って自分を責めていた。
そういえばこの冬、私はずっと半ズボンでいようと決めていた。考えてみれば寒かった。それで、風邪をひいた。腎炎になったのもその所為があるかもしれない。
私は私で、自分が病気になって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
母は、減塩の料理をいつも上手に作ってくれた。そして、こんな味のない食事をさせてかわいそうだといった。
その後も、よく熱を出した。そのたびに、塩断ちをして、尿タンパクを測った。思いかえせばときどき高熱がでるとタンパクが出た。ただ腎炎とまで判断されるまでではなかった。
そういえばしょっちゅう母は尿をコップにとって、光にかざしてみていた。尿が薄く、濁っていないと、母は喜んでいた。
そんな小学生時代をすごし、自分は腎臓が弱いという自覚がうまれた。だから料理の味付けはずっと薄味だった。そしてそれは、その後もずっと続いている。
そういえば小学校6年で扁桃腺を摘出した。
驚くほど元気になった。風邪をほとんどひかなくなった。
ひいても軽いのだ。
高校時代は剣道を始めた。一日8時間の合宿猛稽古にも耐えれて、健康には絶対の自信を持つようになった。
そして、食べるものが薄味であることをのぞいて、もうほとんど腎臓のことは心配しなくなったのだ。
しかし、やはりあの時の腎炎が遠因なのだろうか。
いまは、ただもう母親がなくなってからの発病で良かったな、とおもうのだ。