I 県在住の若いお友達 Aさんが、7年の歳月をかけて製作していた自主映画が遂に完成。
そのDVDを送ってくださいました。
上映時間90分の堂々たる大作です。
喜悲劇が丁寧に盛り込まれたストーリーに、カーアクションあり、ガンアクションあり、ミニチュア特撮あり、可愛らしいアニメーション・キャラと実写の合成あり……と、盛りだくさんのエンターテイメントでした。
Aさんは、映像関係の学校・大学の出身ではなく、また映像関係の仕事に就いているわけでもありません。
独学で撮影や演出方法を研究して、自力で撮影・編集機材を揃えて、仲間を集め、仕事の休みの日を利用してコツコツと7年間、この作品を作り続けました。
製作しているご本人もいわゆるアマチュアだし、出演している役者さんも全員ほぼシロウトさんです。
ですから、映像の仕事をしている人間がこの作品を見れば、あちこちに拙い部分が見え隠れすることもあるでしょう。
また、シビアな考えを持つ方の中には「上映時間が1時間を超えるアマチュア映画を観るのはツライ」と言う方もよくいらっしゃいます。
……でも僕は、この作品を拝見して、なんだか胸が熱くなり、最後まで飽きることなく夢中で鑑賞しました。
Aさんの「モノをつくることに対する情熱」を強く感じたからです。
そして、お世辞抜きで「これは面白い作品だ!」と思ったからです。
その情熱の前には、多少の技術的な稚拙さなどまったく問題ではない。
面白いモノは面白い……僕には、そうとしか言えません。
―――― 実は僕自身、30分あるかないかのSF特撮アクション映画を完成させるのに、7年かかったことがありました。
しかし、僕の7年とAさんの7年は、その内容がまるで違います。
僕の場合は、この作品の撮影を1990年に始めましたが、ほぼ半分ほど撮り終えた頃に当時在籍していた会社を辞めてフリーランスの映像ディレクターとして独立することになり、それにともなって世田谷に引っ越しての新生活を始めなければならず、フリーとしての立場から仕事の足場を固めていくのに時間を費やすことになり、その間、この作品を未完成のまま“放置”していたのです。
やっと少し落ち着いて、また仕事を離れたフィールドで個人的に映画がつくりたいという衝動に駆られ、仲間と一緒に映画の上映イベントを開催したいと思うようになり、ホッタラカシにしていたこの作品を完成させようと思ったのが、ナント1997年!
ずいぶん月日が経ってしまったので、既に撮り終えていた部分を改めて見直すとアラが目立って個人的に納得がいかなくなり、思い切ってドラマ部分をイチからすべて撮り直す決心をして、昔馴染みの仲間達に相談しました。
仲間達は、7年も前に撮り始めたくせにホッタラカシの作品だったというにもかかわらず、何の戸惑いも見せずに「おっ、あの作品を完成させるんですね。よし、やりましょう!」と、まるで最初の撮影開始が先週のことだったかのような振る舞いで、張り切って集まってくれました。
これには感動しました。
こうして、大切な仲間達の助けもあってこの作品は無事に完成し、イベントで上映されたり映画祭に招待して頂いたり、ビデオやDVDでリリースできたりと、それなりの成果を残すことができ、その思い出は僕の宝物のひとつになっているのですが……客観的に検証すると、僕はこの作品をトータルで6年以上寝かせていたことになり、製作期間7年のうち、実動は1年にも満たないのです。
それに比べてAさんは、忙しい仕事の合間を縫って、毎週のように仲間と集まって、ワンカットワンカットを根気強く消化していった……これを7年間、ずっと続けたのです。
同じ7年でも“密度”がまったく違います。
Aさんの作品は本当に面白く、見応え充分でした。
しかし、この作品が完成したからといって、Aさんがプロの映画監督になれるというわけではなく、また会社で評価が上がり、お給料もアップするとか……そういうことはありません。
Aさんは、そういった打算的なことは何も考えず、ただただ、自分のつくりたい映画を、自分の手で作り上げてみたいという情熱で、7年間 頑張り続けたのです。
これは、本当に素晴らしいことです。
Aさんから届いたメールには、
「以前から自主映画には興味がありましたが、宮本さんが昔つくった自主映画を観てショックを受け、自分でも映画をつくろうと思い、この作品を撮り始めました……」
……と、書かれていました。
それは僕が1989年に完成させ、翌年から上映イベントやビデオリリースを展開した作品のことでした。
これは当時、何かに取り憑かれたかのような製作意欲によって、約3年をかけて完成させたSF映画です。
若かったのでしょう……あらためてこの作品を自分で見直してみても、今 同じようなものを作れる自信、そして完成させられるという確信が持てません。
プロの作品でもインディーズ作品でも、ジャンルに関わらず、いちど世に出てしまった“作品”は半永久的に消え去ることはありません。
作品は、作り手本人よりも長生きします。
Aさんは、僕の作品を観て、自分でも映画を撮ろう!と情熱を燃やしてくださった……この事実を、僕は心から光栄に思い、感激しています。
そして同時に、いちどつくって世に出した作品が、他の方々にどのような影響を与えるのかということを考えて、正直、恐ろしささえ感じます。
規模の大小に関わらず、プロ・アマ問わず、つくったものを世に出すということの“責任”……今、それを再認識しています。
モノをつくることに関して、本当に「情熱」を持っている人間は、自分のモノツクリについて、決して自分から「情熱」という言葉を使いません。
気がついたら、夢中でつくっていた。
気がついたら、モノをつくる方向に体が動いていた。
そして、なりふり構わず、つくっていた。
……それが他人から見れば「情熱」と感じられるのです。
最初から「オレには情熱がある」と公言する人間を、僕は信用しません。
情熱は、持とうとして持つものではなく、「自然に体がそう動く」ものだからです。
そう思いながら、僕はAさんの作品を拝見して「情熱」という言葉の意味を改めて考えざるを得ません。
……自分はモノツクリについて、今もAさんのように「情熱」を持ち続けているだろうか?
そう自問しています。
2011年夏にクランクインした僕の自主映画は、現在 諸事情で製作が停滞しています。
カメラを回し始めて、1年半が経過しました。
脚本内容を考えれば、「折り返し地点」がようやく見えてきたかのような状態です。
Aさんの作品は、良い刺激を与えてくれました。
オレは何をやっているんだ!?
停まっている場合ではないぞ。
他にもまだまだ、つくりたい映画の脚本が貯まっているじゃないか。
動け! 動け!