今回は『日野宮神社』へ参拝してきました。

日野宮神社は東京都日野市栄町に鎮座されます神社です。JR中央線日野駅から徒歩15分くらいでした。

 

旧社格は無格社で日野の四ツ谷地区(現在の栄町一帯)鎮守で、「日野宮権現」と呼ばれていた為に今も「権現さま」と呼ばれる事が多いそうです。

権現とは、仏・ 菩薩が人々を救う為、仮の姿をとって現れる事なんだそうです。

 

御祭神は天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)高魂尊(たかみむすぴのみこと)日奉宗頼(ひまつりむねより)日奉宗忠(ひまつりむねただ)です。

鳥居から参道を歩いてくると境内の入り口に、日野宮神社に安置されている仏像の紹介がなされていました。

 

日野宮陣屋の拝殿には、木造阿弥陀如来立像と木造阿弥陀如来座像と木造菩薩立像(伝虚空蔵菩薩像)の三体の仏像が安置されているそうです。

これらの仏像は平成5年(1993年)10月までは四谷自治会館内(元の四谷阿弥陀堂)に安置されていましたが、四谷自治会館が土地の所有者が変わった事で仏像は日野宮神社に移されたそうです。

 

阿弥陀如来立像は永正14年(1517)に造立されたもので市内に残る室町時代の仏像として貴重なもので市の重要文化財に指定さてれいるそうで、仏像を見学に2度秋篠宮殿下が日野宮神社を訪れているそうです。

木造菩薩立像(伝虚空蔵菩薩像)の紹介がとても興味深いです。この四谷地区にはウナギを食べてはいけないという習慣があるそうで、近くの多摩川が洪水を起こしそうになった時、虚空蔵菩薩の使いであるウナギが堤にできた穴を埋めて防いでくれたんだそうです。

四谷の鎮守の日野宮の御本尊が虚空蔵菩薩(本地仏)で、その召使いが「うなぎ」であるからとか諸説があります。

 

洪水から村を守ってくれた感謝の気持ちから、ウナギを食べないという習慣として伝えられたんですね。

御祭神である天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)は、古事記で最初に登場する神様であり造化三神の一柱ですね。

 

造化三神とは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)の三柱の神様です。

日野宮神社では御祭神として造化三神の天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)高魂尊(たかみむすぴのみこと)である二柱をお祀りしています。

 

造化三神は宇宙の起源ともいわれ、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)は至高の神様で高魂尊(たかみむすぴのみこと)は天の生産・生成の「創造」の神様なんだそうです。

今回も無事にお参りに来れました事の感謝の気持ちを伝えましたキラキラ

 

そして造化三神と共に御祭神としてホームページに記載されていたのが、日奉宗頼(ひまつりむねより)と日奉宗忠(ひまつりむねただ)です。

日奉宗頼(ひまつりのむねより)は、武蔵七党(むさししちとう)の1つ・西党(にしとう)の党祖だそうです。武蔵七党(むさししちとう)とは、平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称だそうです。

 

武蔵七党(むさししちとう)の1つ西党(にしとう)とは、平安時代から戦国時代にかけて武蔵国西部、多摩川流域を地盤とした武士団だそうです。武蔵守日奉宗頼(むさしのかみひまつりむねより)を祖とする事から、日奉党(ひまつりとう)とも呼ばれたそうです。

そして日奉宗頼(ひまつりむねより)の孫である日奉宗忠(ひまつりむねただ)が西党の始祖となったそうです。更にその子孫が祖神を祀って日野官権現と称した事に始まるそうですよ。

 

拝殿の裏側へ回っていくと滑り台がありました。子供の遊び場でもあったんですね。

更にグルっと拝殿の右側まで回っていくと、石碑が並んでいました。


この庚申塔(こうしんとう)及び石橋碑は、四谷下区画整理で日野宮神社へ移されたようですね。

庚申塔(こうしんとう)とは庚申信仰(こうしんしんこう)の石碑で、日本の民間のさまざまな信仰(民間信仰)や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰なんだそうです。

 

日野宮大権現と彫られた石碑もあります。

日野宮神社の旧称でもあり、武蔵七党の西党の祖神を祀って創建されたのが日野宮大権現なんですね。

 

更に馬頭観音(ばとうかんのん)の石碑もあります。

馬頭観音(ばとうかんのん)とは観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つなんだそうです。

 

馬の守り神である馬頭観音(ばとうかんのん)は宝冠に馬頭をいただき、身色は赤で、忿怒(ふんぬ)の相をあらわして、一切の魔や煩悩をうち伏せるそうです。

そして石橋碑(いしばしひ)という石碑がありました。

 

「常に人に踏まれている石橋を供養すると、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込まないといわれている」と説明されていました。

更に四谷の地名の紹介もされていました。

 

「江戸時代より前、武田家の家臣であった「天野」「加藤」「小島」「宮原」が当地に移り住み、四つの家があったことから「四谷」「四屋」などと呼称され、現在の「四ツ谷」になったと伝わる」と書かれています。

もう1つ日野宮大権現の石碑。

 

石碑の並びの左右両端両側に配置されていました。

そして拝殿を1周するように更に進んで石碑を過ぎると摂社末社があります。

 

秋葉神社、阿夫利神社、榛名神社、御嶽神社、中野原稲荷が鎮座されます。

日野宮神社は何度も参拝に訪れた事がありました。以前は主祭神の天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)が祀られている事しか分かっていませんでした。

 

今回の参拝では木造阿弥陀如来立像と木造阿弥陀如来座像と木造菩薩立像(伝虚空蔵菩薩像)の三体の仏像が安置されている事や日野宮大権現の歴史を知る事で、日野宮神社の奥深さを感じる事ができました。

 

今回も気持ちのいい参拝ができました。そして無事に帰宅できてブログに記録しています。この感謝の気持ちを伝える為に、またお礼に参ります乙女のトキメキ