W杯日本は敗退した。
おれはサッカー事情をよく知らないが、勝手な敗退原因を述べると。やっぱり選手に与えた圧力でなかろうか。とにかく、試合で負けたあとのサッカー解説者の言葉は、日本は勝たなきゃならないんだ 勝たなきゃならないんだ どブラック企業なみの恫喝である。その気風が日本全土にあったのではなかろうか。
対コロンビア戦の前日、コロンビアの監督は、ひさしぶりのW杯なので試合を楽しみたい と言っていたのが印象的であった。
日本は勝たなきゃならないんだ と選手たちに試合前から圧力をかけ過ぎがおれには敗退の原因のような気がする!
もっと言えば、昨今の日本の右傾化の気風と過度な競争主義の気風が重なって、日本側に試合を楽しむ余裕やユーモアがなくなっていることをおれは感じるのだ。
おれは、福沢諭吉が教育を受けた江戸時代の儒教はよく知らない。はっきし言えば、儒教つまり儒学は宗教の類ではなく、時代や国柄に縛られない人道を探求し、良心を覚醒させる学問である。儒学の一貫した思想は、平和であり福祉の向上である。つまり政治的な立場は左翼である。儒学は、人間の生存競争たる競争社会を否定する。それは社会主義思想に通じ、または福祉国家のイデオロギーにもなり得るのである。マルクス主義が唯一正しい社会主義思想ではないことはおれの主張であり、日本共産党にも科学的社会主義を再検討し、人道的な観点での社会主義を再構築してもらいたいと考える。もともと儒学も社会主義的思想も社会正義から発生したと言ってもいいはずである。社会的弱者の人道的救済という意味での正義心である。ところで、日本共産党は党員のみを正当な科学的社会主義者と位置づけいるようだが、その考え方は非常にセクト的である。幸徳秋水などの日本社会主義の匆々期の社会主義者も良心的な人道的な社会主義者と位置づけて仲間外れ的な態度をしてはならない。人間の良心の覚醒による社会正義的な社会主義思想を再構築して新たな社会主義政党が日本
には必要だ!社会的弱者の存在を見放したりしない社会主義政党がいまの日本には必要だと痛切に感じる。
には必要だ!社会的弱者の存在を見放したりしない社会主義政党がいまの日本には必要だと痛切に感じる。
福翁自伝は、慶應社中でなくても十分楽しめる。高校一年の夏休みの読書にももってこいの本だと思うよ。
福沢諭吉は、明治維新期の事業成功者である。お金持ちでもある。
かれはずば抜けた人並み以上の頭脳の持ち主であることは、福沢の文章からもわかる。おれの頭では福沢諭吉の心中察し難しである。諭吉は議論を賛でも否でも論じることが出来る才があるので、かれの評論が本音かリップサービスか見極めが非常に難しい。が初期の著作は本音であろうと思う。
福沢諭吉は、明治維新期の事業成功者である。お金持ちでもある。
かれはずば抜けた人並み以上の頭脳の持ち主であることは、福沢の文章からもわかる。おれの頭では福沢諭吉の心中察し難しである。諭吉は議論を賛でも否でも論じることが出来る才があるので、かれの評論が本音かリップサービスか見極めが非常に難しい。が初期の著作は本音であろうと思う。
二度目の蘭学事始である。最初は、8~9年前に2~3日かかって読んだが、今回は、2時間程度で読破した云々。少なくとも日本国民ならば、いまから200年前に書かれた「蘭学事始」を読むべきである。我々の先人たちが千辛万苦して後々のわれわれの為をも願い開発開明した学術の記録が書かれた本である。福沢諭吉の業績をいささかでも知るものが読めばこの蘭学事始がわが国の古典の中でも宝中の宝の本であることが実感出来るはずである。そして江戸時代がわが国における学術のビッグバンの時代であることもわかるはずだ。鎌倉時代に起こった新仏教などあまりにも馬鹿らしく感じる。仏教など信仰して人生送るなら、一冊の価値ある古典を読んだほうが人生に有益だ。安易に宗教を信仰して虚しく人生送るより日々学術の道に邁進することの方が人間として生まれてきたかいがあるというものだ。人間は宗教の世界観に疑を持ったから科学も医学も発達してきたのである。宗教の信仰が学術より有益だと思っている人間は人間として生まれた意味のないそして先人たちの顔に泥を塗る存在だ。蘭学事始は医学で世話になっている日本国民の必読の本だ。蘭学事始を読んでの
おれの所感である。蛇足ながら、国語の成績が小中高と3とか2の成績だったおれだが、かなり久しぶり、特に諭吉を知ってから読んだ蘭学事始を今回2時間ぐらいで読破したことは、いま考えるてみると、自分でもびっくりである。
おれの所感である。蛇足ながら、国語の成績が小中高と3とか2の成績だったおれだが、かなり久しぶり、特に諭吉を知ってから読んだ蘭学事始を今回2時間ぐらいで読破したことは、いま考えるてみると、自分でもびっくりである。
宗教と哲学は、真逆なものである。哲学は考えることがメインであるが宗教は考えることを放棄する非人間的行為である。信じればご利益があるなどと説く宗教は100%インチキである。単純に考えても、信じれば願い事が叶うなら科学の発展も医学の発展も、人間に教育など必要なくなる。信仰に走ってしまう人間は考えること捨て宗教者を盲信して宗教のために一生を台無しにしてしまう存在なのである。創価学会の2世信者の存在は、特に母親が創価学会の信仰を自分の子供より優先してきたなによりの証拠である。子供は母親を慕って創価学会に入会してしまうのである。創価学会が親と子の絆なのである。