てんざえもんの哀しき告白 -19ページ目
宗教には、大まかに2つのパターンがあると思う。ひとつには、物理的充足をはかり尚かつ将来の不測の事態に備えようとする宗教と、物理的充足を願うものの、内面の向上を希求する宗教である。さしずめ前者の代表が創価学会ならば、後者の代表がキリスト教であろう。特に前者の場合は、人の不安や無知に付け込む悪質な宗教であることは、良識があるひとならば常識である。
おれは、個人的に信教の自由を認める憲法は有害であるとの認識を持つ。なぜなら、教団に洗脳され、自ら考えることに消極的になり、ただ信じさえすればよいなどと思い込み、教団の言いなり堕落させてしまう。まさに人間性の放棄に誘う創価学会という存在が、おれは許せない。おれは唯物論ではないが、宗教を否定せざるを得ない。
おれは、ひとがおのれの良心と反省心を使って歩み、ひとをあわれみ助ける社会を希求するものである。宗教ならば、キリスト教ぐらいしか大目にみない。



いま、川口葉子著 東京の喫茶店 琥珀色のしずく77滴 (2011年発行)という本を図書館から借りて眺めている。掲載されている喫茶店は、どれも行ってみたくなる店ばかりで、喫茶店好きには、たまらん本の一冊だ。ただ女性の視点からの店選びなので男性からの店選びとは若干異なると思う。しかし、喫茶店というものは、ほんと贅沢な空間だと思った。おれの場合、高校を卒業すると同時に、喫茶店に行ってコーヒーを飲みたいという想いが湧き上がってきた。そして、上京するとまず、ルノアールという店に入った。確か最初に注文したのは、ブレンドコーヒーとピザトーストだった。おれ当時、タバスコというものを知らず、ケチャップと勘違いをしてバンバンかけたことを昨日のように覚えている。おれにとって最初期の喫茶店はコーヒーを飲むという以上に食事をとる場であった。そしてわかったことは、東京の喫茶店の場合、店頭のディスプレイに価格がない店は、ただ値段の高い、たいしたことのない店だということだ。しかし、いま思うことは、お金があったら、喫茶店巡りをしていろんな店を探索したい。そして、おれは、学生時代、き
づかなかったが、喫茶店で時間を過ごすという贅沢なことをしていたんだと思った。喫茶店に関する本を読んで、いま無性に喫茶店に行きたいということだ。



偉そうなことを言わせてもらう。特に、二十代の若者に…

たとえ、周りから自己責任だろうと言われても、自分を責めることに真剣になるな!世の中の方が変なんじゃないかと考えてみよ!自分の素直な良心に問いかけてみるのが大事だ。すると悪いのは、自分ばっかりじゃないことに気付くはず!



おれは、藤村詩集がきっかけで、何か文学作品を欲していた。でたまたまネットで知った、河野裕子著・たったこれだけの家族(中央公論新社)を知って、図書館から借りて所々読み始めた。内容は、エッセイであり、巻末に歌も載っている。著者は歌人であり、二年前に他界した。正直最初は、普段読んでる本とは内容のジャンルが違い過ぎて入っていけなかったがようやく、その面白さがわかってきた。著者の伝えたいことを察することがこの本の楽しさである。おれも少しは、文学の面白さが以前と比べてわかるようになったと思う。