てんざえもんの哀しき告白 -13ページ目
岩波文庫に二宮翁夜話という、弟子の福住正兄(まさえ)筆記による二宮尊徳の語録集がある。最近、福沢諭吉にはまっていたので二宮翁夜話は本棚に格納していたが、久しぶりに取り出して所々読んでいた。読んでいる内になんとも言えない心地よさを感じたのである。その訳を考えてみると、福沢諭吉の著作は明治という時代への啓蒙書であって前代への批判を含め、緊張感や国家に対する危機意志などで溢れていて気が休まることがない。福沢の啓蒙する社会は競争社会であって、二宮尊徳の生きた時代とは違う。二宮翁夜話から二宮ワールドを想像してみると、まじめに働き、生活すればある程度安泰な生き様になるであろうことがわかる。儒学的言葉を使えば仁である。二宮ワールドはまさに仁なのである。おれのような競争社会に不向きな人間でも生きやすい社会を彷彿させる。それが心地よさを感じさせるのであろう。ただ二宮翁夜話を読んで、特に、二宮尊徳の神道に関する発言がおれには二宮尊徳の発言でないような気がしてならない。思うに、二宮翁夜話の内容には、筆記者の福住翁の思想もさり気なく入っているのではないかと感じるのである。とは言え、
二宮翁夜話から受けることは、暖かさである。



しかし、安倍晋三のまわりにいる顔ぶれを見ていると右翼のバカや小泉時代のバカがゾンビのごとくはびこっていることがわかる。その内弱いものイジメの政治がはじまるぞ!確かに安倍の言うとおり強い日本にしなくてはならないが、おれのいう強いとは、弱者切り捨ての政治でなく弱者にそっと寄り添う政治である。力あるものに手助けはいらない!しかし、いくら弱者といっても万引きをするような高齢者はサヨクのおれでも容赦しない。とにかく、少子高齢化する社会を強くするには、健康増進が何よりであり、弱者切り捨ての政治をしないためにも封建的道徳をかなり否定した儒学の再興が必要であり、その意味で日本は福祉国家を目指すべきだ。さて、自民が積極的にいってる国防軍なるものはあまりにも物々しく物騒で即戦争を彷彿させる名称ではなかろうか。おれは、日本国軍が妥当と思う。理由はあるがいまは述べない。自衛隊を日本国軍に変えることには別に反対しない。とにかく国防軍なる名称は物騒で威圧感がある。日本は、中国・韓国とは仲良くやらなくてはならない。利益の独占は必ず争いに繋がる。利益の分配を主張出来る政治がいまの日本には必要で
ある。こころある人たちよ士たれ!士とは、志のあるひとである。そして、邪を邪と言える勇気あるひとである。


いま、わが国が右傾化しつつあることは間違いない事実である。力のあるもの勝ち、ないものは自己責任の名のもとに、連帯を断たれ、はけ口として、日本を戦争が出来る国へと変える改憲という流れに流れている。現行のサヨク勢力を結集しても改憲の流れは止められない。人間の本能的欲望が弱者は負けて当然という非理性的な思想が日本全体の暗黙の支配をなしている。おれを含め、サヨクは無力である。もしかすると、サヨク的人間という存在は、弱肉強食の日本においてはまったくナンセンスな存在なのかもしれない。チカラのない人間には日本は生きづらい。ワールドカップ出場などおれには関係ない。




おれはサヨクだが、福沢諭吉の影響で国防の必要性を考えざるを得ない!最近間近にブルーインパルスを見て特に思った。平和のためには、平和を乱す輩を叩かねばならない!ましてや国民を騙す新興宗教には毅然と対抗しなくてはならない!創価学会や幸福の科学などはただきつぶさなければならない!そいつ等はおのれの利益をはかり信者を騙している!創価学会に関しても仏教に関する基礎知識や日蓮の晩年と数々の主張との矛盾を知れば、引っかからないのである。サヨクのおれは国益という偽善からではなく、国防という至極当たり前な視点から憲法改定を考える。国防は外からの脅威だけではない、国内にも国民に有害な集団や組織、または口達者が実際に存在するのである。



仏教の核心を探ってみると、こころを軽くしてくれる宗教と云える。つまり悩みの種への執着を断つことである。日蓮・法華の現世利益的宗教ではないのである。この観点から云えば、日蓮の宗教は仏教などではないのである。あえて云えば、異端の仏教なのである。古代の釈迦像で釈迦が何か呪文や経典などの動作をかたどった像などあるだろうか?ないではないか!つまり釈迦は呪文を唱えたり、経典など書いていないことを現している。こう考えると大乗仏教の中で禅宗が釈迦の思想を反映していると言っていいだろう。仏法をかたる新興宗教はすべてインチキである。