かつて、

 

ある重篤患者を看護する看護師さんのドキュメント番組で

 

「大変苦しんでいる患者さんに

 

「こんな状態でなぜ生きなきゃいけないのか?」

 

と問われたときに、一緒に泣いてあげるしか

 

できなかった。

 

それから、私はどう答えてあげたら良かったのかと

 

考える日々が始まった」

 

との場面に出会った

 

私もそのような問いかけに応える言葉を持っていなかったから

 

ずっと、同じような間面での「なぜ生きるのか?」にどう応える?

 

との自問の日々が始まった

 

チコちゃんに叱られるでこの問いが取り上げられたかどうかは

 

知らないが、チコちゃんから聞かれても、「ぼーっと生きてんじゃないよ!」

 

叱られたに違いない

 

しかし、先日

 

ヴィクトール・E・フランクルという

 

1905年にウィーン生まれ、ウィーン大学でフロイトに師事し

 

36歳であった彼が、病院の開業と結婚後、間もなくユダヤ人出ることを

 

由に両親、妻とも強制収容所に収監され心理学者が

 

心理学者の立場としてその体験を綴った

 

「夜と霧」に出会った

 

 

彼が収監されていた収容所の医療関係者から

 

1944年クリスマスと1995年の新年の週の間に、

 

かつてないほどの死者を出したのは、

 

悪化した食糧事情からも、季節の変化からも、あるいは新たに広まった

 

伝染病の疾患からも説明がつかず、

 

多くの被収容者がクリスマスにはうちに帰れるという、

 

ありきたりの素朴な希望にすがっていたにあると聞いた

 

クリスマスが近づいても、収容所の新聞にはいっこうに元気の出るような

 

記事を載せないので、被収容所たちは一般的な落胆と失望に打ちひしがれたで

 

あり、それが抵抗力に及ぼす危険な作用が、この時期の大量死となってあらわれたと

 

分析されたという

 

彼は、心理学者として

 

被収容者を対象とした心理学的心理療法や精神衛生の治療の試みが従うべきは

 

ニーチェの格言

 

「なぜ生きるかを知っている物は、どのように生きることにも耐える」

 

であると気づいた

 

それを踏まえて

 

「「生きていることにもなんにも期待がもてない」

 

こんな言葉にたいしてどう応えたらいいのだろう」

 

とこの節を締めて、「生きる意味を問う」との

 

いよいよ私の自問への核心の節に続くのである

 

まず、冒頭の3行を引用させていただく

 

「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ

 

わたしたちがいきることからなにかを期待するのではなく、むしろひたすら

 

生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ。

 

ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない」

 

 

つまり

 

「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務

 

生きることが各人に貸す課題を果たす義務、時々刻々の要請を

 

満たす義務を引き受けることに他ならない」

 

と説く。

 

冒頭で

 

「こんな状態でなぜ生きなきゃいけないのか?」

 

と苦しんで絶望的になった患者さんは

 

看護師さんに問うのではなく

 

患者さん自らがその問いを自問し続けるものの

 

考え込むのではなく

 

ひとえに行動によって、適切な態度によって導かれる

 

課題を時々刻々果たしていく義務を持っていることこそ

 

生きることなんだということへの気づきが

 

必要なのだ

 

 

本書がテーマにしている

 

ドラッカーのマネジメントは

 

なぜ生きるかの問いに対する答えを

 

自らのうちには目的を置くことなく

 

社会を組織を通じた産業社会として

 

ひとり一人がひとり一人の位置と役割を果たしていく

 

ためになされるべき仕事、責任と行動に生きる意味を

 

マネジメントという体系のベースにしている

 

私が最初にマネジメントに出会って読んだ

 

「経営者の条件」まえがきの冒頭の一節に象徴されている

 

 

 

 

「普通のマネジメント本は、人をマネジメントする方法に

 

ついて書いている。しかし、本書は、成果をあげるために

 

自らをマネジメントする方法について書いた。

 

ほかの人間をマネジメントできるなどということは

 

証明されていない。しかし、自らをマネジメントすることは

 

常に可能である」

 

 

「夜と霧」は、このマネジメントをさらに裏付けするものであり

 

「人はなぜ生きるか?」を問い続けて生きることが

 

自殺者が毎年2万人を下回ることがない日本人の

 

すべての人に必須であると考える

 

 

なぜ生きるのかを自問してきた

 

私のなすべき義務と責任の行動は

 

目の前に、なぜ生きるのか?と外に向けた問いを

 

発して、自らの命の日を消そうとしている人に

 

奇跡的でも「夜と霧」という本に一刻も早くであってほしいと

 

願ってブログを書くことでした