フィリピン超超超超、超ハッピー大作戦!報告書2

空港の近くにはアメリカ人のマッカーサーの銅像があった。

近づいてみると4メートルぐらいあって、威圧感があった。

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このレイテ島はアメリカの連合軍&フィリピン人と日本兵が戦った場所であり、このフィリピンを抑えないと石油が確保出来ないから日本は絶対に負けてはいけなくて、結果

この地で連合軍が一番恐れたと言われる神風特攻隊が生まれた。

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そう、ゼロ戦に乗って連合軍の空母に体当たりしてゆく攻撃だ。

海軍が飛行機で連合軍の船に自分の命をかけて突っ込み

陸軍は切り込み隊というチームを組んで深夜連合軍のキャンプに忍び込み、切り込むっていう特攻作戦を繰り返した。

海軍、陸軍の特攻に参加した日本兵はほぼ全滅。

軍艦「大和」は有名だけど、同じぐらいの規模の「武蔵」はこのレイテの海に沈んでいる。

結局、このレイテ島では8万人の日本の先輩が戦死したり食べ物がなくて餓死したり、病気になって肉体を離れた。

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また、フィリピンの方が一生懸命作った野菜、米、豚、牛、鶏なども食料調達の為に奪い、最後にはフィリピン人に見つかると連合軍に居場所をばらされるという事で、フィリピン人を見たら子どもであろうと生かしてならないという命令が下され、罪のない女性や子ども達の命を奪う事にもなった。

戦争とは言え、レイテの激戦の中、生き残った先輩達はフィリピンの人に対して本当に申し訳なかったというコメントを残している。

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だから、基本的にフィリピンは親日なんやけど、このレイテ島だけは反日の人が多い。

1940年代は日本人とフィリピン人が殺しあうという関係やったけど、今回は違う!


2013年11月にやってきた伊勢湾台風並の台風の被害にあったフィリピンの人達をサポートしに来たんだ。

とにかく街の中の建物のほとんどが壊れていると言っても過言ではないぐらい台風と高波によって壊れている。


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ほんまに怖かったと思う。

高波は二階の上ぐらいまで来たそうで、街の中に大きなタンカーや船が打ち上げられている。

台風から三ヶ月経ってもこの状況かっていう景色で、ほんの少しだけ仮設住宅が建っていたけど、ほとんどの人がテントや材木とトタンを買って、台風が来たらすぐに壊れるような家を手作りで作って住んでいる。

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ヤシの木は台風で根こそぎ倒れていたり、折れていたりしていて、木を植えてから10年経たないと実がならないため、ヤシの木を使った仕事をしていた人の多くが失業した。

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ヤシの木を使ってオイルなどを作ったりする工場は工場の建物の作り方が手抜きだったのか、台風がもろに直撃したのか、ぐちゃぐちゃで手の着けようがないって感じやった。

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唯一あった海岸線の観光業も絶望的だった。

東北もそうやけど、一気に数千人以上の人が失業したことがさらなる問題を産んでゆく。

多くの人が家も流され、物も流され、もともとレイテ島はフィリピンでも二番目に貧困な島と言われているだけに、銀行に貯金もない。

だから、なにもかも失った人もいる。