私は21歳の時に俳優になることを志して北海道から東京に出てきた。
初めは1年東京で学んで、帰郷するつもりだったのだが、
とっくの昔に生まれ故郷にいる年数を軽く超えてしまった。
初めは1年で帰ると言っていたせいだろうか、実家が生活費を援助してくれた。
しかし1年で私は帰らずそのまま東京に居続け、実家も援助を続けてくれた。
援助の元は両親ではなく、母方の祖母だった。その祖母が亡くなるまでなんと18年もの間、私は実家の援助を享受しながら舞台に立ち続けた。
祖母が亡くなると同時に援助は止まった。
その時は出演料を貰える活動をしていなかったので、生活費はアルバイトで稼いでいたものの舞台の活動費用は全て持ち出し。

たちまちマイナスが立ち始め借金をし始める。
他の知人に話を聞くと額としては大したものではない。
しかし、実家の援助をほとんど当たり前のものとして享受していた私はお金を回す能力がまったくなかった。
借金できる限度をたちまち迎えて次々と行き詰まり始めた。
現状を見直すゆとりも持てず、がむしゃらに舞台活動を続けていたがパンク。
大事な仲間から逃げ出し、活動を休止。
いま、どうにかこうにか自分の稼ぎだけで活動を再開できたのはパンクするまでのことを振り返ると奇跡に近いことと思える。

話は変わるが、私は精神的にかなり不安定な母に癒着するように育てられた。
その母がほぼ生まれつきの統合失調症だということがつい先頃わかった。
大きな症状が出て本格的に治療を始めたのは私が上京してからだが、

生まれつきの病気と知り、

少しずつ病気のことを調べてみると小さい頃から自分が影響を受けてきた母の行動の説明がついてきた。
私は母自身でもコントロールできない母の行動・言動に振り回されて育ったらしいということが少しわかった。
そんな病気を抱えながら兄と私を五体満足に育てるのは大変だったろうな、

と今は思うが、若い頃は母が疎ましくてたまらず、

そんな疎ましさが「東京に行って演劇をやる」という思いを生み出したと思う。
演劇は北海道にいても出来たからだ。母から離れたかったのだ。

実家から援助してもらっていたので、私は思う存分舞台活動をする事ができた。
お金の心配がない分、ハングリー精神もなく、

サボってばかりいたが、舞台活動をする事だけで得たことがいくつかある。
☆他人との心からのつながり。
一つの作品を成功させるという共通のポジティブな目的を持つことでお互いの深い部分で繋がることができる。
☆信頼
一緒に作品を作ったりすると感情的なぶつかりも時にはあるが、そこを乗り越えたとき、相手を本当に信頼する事ができる。
☆友愛の気持ち
とにかく好きなことを真剣にやっている時間を共有する事が楽しい
☆感謝する気持ち
自分の好きなことをやって、それを見てくれる人がいるということ。
その中の何人かは自分のやったことを元に良い思いを持ち帰ってくれること。
これほど感謝したくなる出来事は他にない。

☆は、舞台を通した表現活動をやることで得たものだ。
これだけでなくもっとあるかも知れない。
観ることではなく、やることで得たもの。私は観るよりやる方が好きなのはそういうことらしい。
残念ながら、家庭ではわたしはこのようなことを学ぶことが出来なかった。
しかし、家族が甘やかす行為で私を放牧してくれたおかげで私は人間として最も大事なことを学ばせてもらったと思う。

私の上京に唯一、賛成したのは母だったという。
私にどんな思いを乗せたのか、もう確かめることができない。
自分の脳の中の暴れ馬が消えてから、母が示した死に様は本当に心やさしく力強いものだった。
母は自分が教えてあげられない、大事なことを私が好きなことをやることで学ばせてやりたいと深い部分で願ったのではないかという憶測は、妄想であろうか。

妄想だろうな

しかし母の生き死にをそのように美しいものに思わせてくれた全ての流れに感謝します。