自粛と猫背と私の日常 | 進展の消化試合

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つれづれなるままに、一人日暮らし、スマホに心もとなく向かいて、記憶にうかぶ、アホな失敗話しなどを、記したるブログなりけり。

帰省を規制するという自粛の 中、
 
県境を越えてマイカーで帰省しています。   


自粛、もちろん必要なことだと思います。

けど、自粛が目的になってしまい、

同調圧力となりつつあるような気がします。

それでは、戦前の「非国民」という圧力で、
自由な議論を封じてきた歴史と変わらないと思うのです。


陽性の人が店にいったという
間違った情報でたたかれる飲食店

しっかりと感染防止を考えて
営業している店に、

なぜ、営業しているのかという、
正義の味方を自称する方々のバッシング。
 

もちろん、
陽性と分かっても
自分の行動を、
いろいろな都合から隠蔽する人は論外だと思いますが。
 

一番気をつけるべきなのは、
感染しない、させないという
要点を意識することではないかと思います


といった、
県境を越えて帰省した自分の
自己弁護をしてみたわけですが…。
m(__)m



 退職してから、
外食もやめ、公共交通機関は使わず、 
人のいない所を歩き、
買い物ぐらいしかしてませんが、

自分がコロナウイルスを持っていないか不安を持ちつつ、帰省しました。
なんせ、父は90歳近くになりますから。

無事、1週間を越えてホッとしています。

独り暮らしの長い私と、
独り暮らしに慣れていない父との
妙な生活が続いています。


昭和一桁の父ですから、
自分の気持ちを言葉にしないのですが、
だんだんと、
父が『無意味な』、ふざけた独り言を 
テレビのナレーターに合わせて
「そうですか?」とか、
「だから、なんですか?」
みたいな、
私が子どもの頃、
亡くなった母や兄などに言っていた
おどけたような独り言を
言うようになりました。 

相手が私だけでは、少し寂しいかもしれませんけど。
喜んでもらえているのかなと思います。

父と二人で
散歩をしたり、ドライブをしたりします。

とは言え、
私は、もう少し多く身体を動かす必要がある
思い、一人で遠くまで行くようにしています。

けど、
京都と違って、
名所旧跡や史跡はなかなかないので
多少物足りないのですが
(当たり前のことですが)

それでも、
田畑が広がり、遠くに大きな山が鎮座する眺めを見ながら散歩しながら、何か、発見はないかな?と興味津々で見てみると発見はあります。


『イノ缶』


 一斗缶がぶら下がっているので何かなと思ったら、この缶を叩いてイノシシを追い払おうということらしいです。
児童の登下校の道らしいですが、
私か子どもだったら、
毎日、叩きまくっただろうなぁ。
しょうもないものと言ったら、それまでですが、何か愛着を感じてしまいます。


やっぱり、
今までの、
毎日忙しく働いていた感覚が、
まるで、
『麻薬』のように身についてしまっていて、
その『興奮』を懐かしくすら想う自分に
苦笑しています。
今まで、
自分の内面を充実させてこなかったなと
実感しました。


では、どうするか?

ゆっくりと『答え』を探すつもりです。



さらに、

子どもの頃、
自分のテリトリー外であった所を歩いてみました。


すると、また、発見。

春念仏の象徴としての阿弥陀様です。

説明板によれば、 

江戸後期、明和年間に高遠から石工を招いてつくらせたものとか






とは言え、妙に猫背な阿弥陀サマなのですよ。
あまり、お見かけしない立像なのです。
 
さらに、

説明板に何も書いていないので、
由緒が分からないのですが、
妙に不自然な石灯籠も気になりました。




猫背の阿弥陀サマが灯籠を見つめています。

ついで、なので説明板を載せておきます。



ま、これ以上、発見はないかもしれませんが、


関西と比べて、
あちこちに、馬頭観音や庚申塚、
道祖神の多さに感心します。