母のことを気にしながらも、看護師さんに母の様子を確認し、日帰りで義母の葬儀にだけ参列することになった。
コロナ禍のため、家族葬にするということで、お通夜と告別式と通常2日に分けて行われるものを1日にまとめてすることになった。
早朝、こちらを出れば午前中の納棺の儀や義母とお別れをすることができて、すぐにとんぼ返りすれば、母の病院にも行けないことはないのではないかと。
かなりギリギリの線だが、義母の顔を見て、お別れしたいと思った。
義母は、子どもたちのことも可愛がってくれて、3人の子育てを母同様に助けてくれた。
母に認知症が出始めたときも
「お母さんの方を見てあげて」
と母を気遣ってくれていた。
義母は、母よりより一回りも若い。
まさか義母の方が先に逝ってしまうなんて思ってもいなかった。
昭和的な言い方をすれば、私は、長男の嫁になるので、本来は夫と共に中心になって働くべきところなのだろうが、母のこともあるので中座しても、夫がみんなに話すから大丈夫と言ってくれた。
母の大学病院には、その日だけ関西に行くと念のため事情を話し、早朝の新幹線に子どもたちと乗り込んだ。
心の中で母に
「今日1日は待っていてね」
祈る思いだった。
新幹線に乗り、その後ローカル線に乗り換えて、葬儀会場の最寄り駅で夫と待ち合わせて会場に向かった。
コロナ禍でずっと会えていなかった親戚と和やかに挨拶して、式はこじんまりとしたものだったが、しんみりとしながらも、あたたかい雰囲気に包まれて、義母も柔らかい表情で眠っていた。
それでも一人一人義母と最後の挨拶をと言われて、義母のもとに行った時には溢れるものを止めることはできなかった。
娘たちも目を真っ赤に泣き腫らしていた。
コロナ禍でなかったら、もっとたくさん会いに行けていたのに. . .
コロナ禍で会えなくて無念の涙を流した人はたくさんいたと思う。
家族葬が終わり、これから皆で食事の席を囲むというところで、夫から急ぐように促された。
皆さんに、実は母も危険な状況で病院に行かなければならないことを告げると、皆、とても驚いた(そりゃ、そうだよね😅)
中座することを詫びると、皆、母のことを気遣い、私の体調を心配してくれて、気持ちよく送り出してくれた。
後ろ髪引かれる思いだったけれど、夫にも促されて、私と子どもたちは慌ててタクシーに飛び乗って、東京へとんぼ返りした。
母の無事を願いながら. . .。
(つづく)