補足というか、、
コッチ側の観点で
書き足してみようと思います
いよいよ明日搬入!
魂の絵展、明後日からです
医学的な根拠のないことなので
まったくもって話半分にでも
聞いていただけたらと思いますが、、
ADHDやASD然り、HSPしかり
そういう特性や言葉が一般的になったのって
ここ10数年のことじゃないですか?
少なくともわたしの幼少期
30年前くらい?って
発達障害という表現は
メジャーではなかったというか
そう診断されることは
やはりちょっと特別視されたり
「難あり」みたいな価値観の方が
圧倒的に多かったと思います。
隠しておきたいこと
バレてはいけないこと、みたいな。
だけど、そこからゆっくりなのか
急速なのかはわかりませんが
昨今の社会的背景を見ると
発達障害も、知的障害も、身体障害も
「多様性」として受け入れられつつある
もちろんまだまだ
誤解や偏見はありながらも
大きな風向きの変化を
わたしなりに感じていました。
たとえばそれを
コッチ側の根拠を示すなら
星の動きにも当てはまるし
社会的エネルギー変化もそうだし
(いっときよく言われたアセンションなど)
不思議なことではないなと思うのです。
わたし含む
周りの大人たちの中にも
時代が違えば
あっさりADHDやASDと診断されて
あっさり特別学級にいたであろう人は
どう考えても少なくなく。笑
ここではわたしに限って書きますが
まだ一般的ではない時代を選んで
四苦八苦しながら成長してきた
そんな背景も併せて
自分自身の本質を
感じずにいられません。
魂の絵展のおみくじ書きました!
で、ここからさらに
なんの根拠も脈略もない話で
ちょっと、正直、
批判を覚悟で書きますが
ADHDって、
脳の前頭葉の働きに異常があるというか
前頭前野?の働きが弱いんだそうで。
それによって
注意力が欠如したり
意思疎通が下手くそだったり
衝動性が現れたり
人間として生きる上で弊害がある
わけなんだけど。
わたしがADHDだと仮定して
わたしに限ってのことで言えば
うわあああ、すんまへん!!
そもそも人間として
生きることに興味ないです!
ってのが本音です。爆
さらなる人でなし発言をするなら
今も、昔も、「人間の子ども」に対して
まーーーーーーったく興味がないし
(おかげでサイコパスと言われている。
自慢にならないのは百も承知だけど、公表する)
まして「まともな大人」になんて
見向きもしなかったクソ野郎なので笑
大人だろうと子どもだろうと
そもそもおまえに用事ない
って感じで
脳構造の異常をガン無視したまま
35年の時だけが過ぎ
ここにきて
生きていく上での「障害」に
直面してるっていう
大人の発達障害のパターンとして
お手本のような在り方
なんじゃないかと思います。
場合によっては
二次障害で精神疾患を患う人も
少なくないらしいですが
話を聞かない性格か
ナナメにまっすぐ伸びた根性か
歪んだ人間性か
ADHD特有の攻撃性も相まって
こっちの闇に
相手を引き摺り込むわたしは
モンスターの名を
ほしいままにしています
なんてね、笑えない話さえ
自己正当化を図る始末です。