自虐史観と言う前に、慰安婦問題で正すべきは
1、荒船清十郎発言
アジア女性基金がマクドゥーガル報告の間違いを指摘
荒船清十郎発言は虚言。それを根拠とするのは間違い。 慰安婦問題とアジア女性基金 デジタル記念館
http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html
1998年6月22日、国連人権委員会マイノリティ差別防止・保護小委員会特別報告者ゲイ・マクドゥーガル氏は同小委員会に報告「奴隷制の現代的形態ーー軍事衝突の間における組織的強姦、性的奴隷制、及び奴隷制的慣行」を提出しましたが、それに付録として報告「第二次大戦中の慰安所にたいする日本政府の法的責任についての分析」が付されました。その中で、氏は次のように述べています。
「日本政府と日本軍は1932年から45年の間に全アジアのレイプ・センター rape centresでの性奴隷制を20万以上の女性に強制した。」
「これらの女性の25パーセントしかこのような日常的虐待に堪えて生き残れなかったと言われる。」
根拠としてあげられたのは、第二次大戦中に「14万5000人の朝鮮人性奴隷」が死んだという日本の自民党国会議員荒船清十郎氏の「1975年(ママ)の声明」です。
荒船清十郎氏の声明とは、彼が1965年11月20日に選挙区の集会(秩父郡市軍恩連盟招待会)で行った次のような発言のことです。
「戦争中朝鮮の人達もお前達は日本人になったのだからといって貯金をさせて1100億になったがこれが終戦でフイになってしまった。それを返してくれと言って来ていた。それから36年間統治している間に日本の役人が持って来た朝鮮の宝物を返してくれと言って来ている。徴用工に戦争中連れて来て成績がよいので兵隊にして使ったが、この人の中で57万6000人死んでいる。それから朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまったのだ。合計90万人も犠牲者になっているが何とか恩給でも出してくれと言ってきた。最初これらの賠償として50億ドルと言って来たが、だんだんまけさせて今では3億ドルにまけて手を打とうと言ってきた。」
日韓条約締結時に韓国側は、韓国人労務者、軍人軍属の合計は103万2684人であり、うち負傷ないし死亡したのは10万2603人だと指摘しました。慰安婦のことは一切持ち出していません。ですから、荒船発言の数字はすべて荒船氏が勝手にならべた数字なのです。国連機関の委嘱を受けた責任ある特別報告者マクドゥーガル女史がこのような発言に依拠したことは残念です。
蘇智良氏もこの荒船発言を知り、これに依拠して、朝鮮人慰安婦が14万2000人いたとすれば、36万、ないし41万の慰安婦総数のうち、中国人慰安婦は20万人にのぼると結論しています。これも荒船発言に誤導された推論だと考えられます。
引用終了
慰安婦20万人の根拠 http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/arafune.html
2、鹿内信隆証言は虚偽?
鹿内信隆氏が語るフィリピンでの女子大生強姦事件 本間師団、経理担当将校が語る
戦争開戦緒戦のフィリピン、1941年12月22日戦闘開始
I shall returnで有名なオーストリアに撤退したマッカーサー大将と本間雅晴中将 戦闘早々にマニラを撤退したマッカーサー
本間中将はマニラ進駐にあたり将校800名をマニラホテルの前にめ「焼くな。犯すな。奪うな。」を徹底し違反者は厳罰に処すると訓示を行った。WIKI
この後、マニラ大学学生寮で事件は起こる
一方、戦闘はターバン半島、コレヒドール島へ、マッカーサーは翌42年3月12日、マッカーサーはコレヒドール島を脱出、4月9日、キング少将降伏、米比軍約7万6千名が捕虜。バターン死の行進とマレー作戦直前の辻政信による捕虜殺害の偽大本営命令が発生 デンデン
ジャワ侵攻直前のフィリピンでの事件。櫻井よし子女史の「国家による強制はなかった」を証明できない情況証拠になります。
「産経のドン」が証言する集団レイプ
http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-September/033828.html より
以下の対話は、鹿内信隆氏が桜田武氏との共に書いた『いま明かす戦後秘史
(上)』(サンケイ出版、1983年、29-30頁)からの引用である。
【桜田】そうでしょう。
【鹿内】ろくな戦争もしないうちに、最後はみんな餓死してしまったんですが、緒戦は本間正晴中将を中心として、上陸したときは大変な勢いでした。本間軍団の経理部のいちばん偉い人は、私どもの経理学校の上官だった人ですが、名前はここで申し上げないほうがいいとおもう。上陸作戦がすんでから、その人が陸軍省に報告に来られた。経理担当の最高の師団将校ですから。で、その人の報告は、
要するに「すばらしい」というんです。 何がすばらしいのかといったら、マニラ大学の女の学生は全部セレベスとか、が集まっていた。 ところが、日本軍がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。 寄宿舎にいるやつが、みんな孤立しちゃったわけだ。 それを日本の将校がいただくわけだ。それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけね。
その戦況報告のはなしが…。
【桜田】うーん。
【鹿内】ぼくは、そのとき、非常に衝撃を受けたけれども、しかし話としちゃ面白いよね。戦争中の話ですから。その女子大生が日本の将校のえじきになったという報告があったのが、ぼくには非常に刺激的な印象としていまも残っています。
しかし、この人は中将になって、最後は満州で戦死してます。
(ここまで)
周知のように鹿内信隆氏は、フジサンケイグループ会議の議長で、産経新聞社
の社長を務めた、日本のメディア界の重鎮だった。
その鹿内氏が証言するフィリピンでの日本軍の行状は、実に恐るべきものであ
る。日本軍の南進は、建前上は東南アジア諸国を欧米の植民地から解放するためのものであった。しかし、マニラに進駐した日本軍には、鹿内氏が語る裏の顔があった。
マニラに日本軍が侵攻したため、フィリピンの各島からマニラ大学に進学して
いた女子学生が島に帰れなくなった。その女子学生たちは、「方々の島々の豪族
の娘たち」だったという。そして、鹿内氏が知った戦況報告によれば、その女子学生たちを、「日本の将校がいただくわけだ。それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけ」というのである。
対話者の桜田氏もあまりにひどい話なので絶句するが、鹿内氏は、「話としち
ゃ面白いよね。戦争中の話ですから。その女子大生が日本の将校のえじきになっ
たという報告があったのが、ぼくには非常に刺激的な印象としていまも残ってい」
るというのだから、呆れ果てた話であろう。
これ以上、明々白々たる強制売春の証言はないだろう。なにしろ、証言者は、吉田某のような得体の知れない人物ではなく、日本のメディア界を代表する著名人なのだから。
「産経」は従軍慰安婦の証言は間違いや嘘が多いので信用できない、と書きま す。これは、自社を日本有数の全国紙に育て上げた「中興の祖」が言ったことですので信用できるでしょう。
引用終了
参照 慰安婦問題とアジア女性基金 慰安婦にされた女性たち-フィリピン
http://www.awf.or.jp/1/philippine-00.html