転職支援をしている斉藤です。
友人がカフェをオープンしたというのでお祝いに駆けつけてきました。
妻が開口一番「 めっちゃエエやん、この店 」っていうほど、オープンテラスありーの、オシャレなカフェでして、開店日には某地元TVクルーが取材に訪れたらしく、嬉しそうに写真を見せてくれました。
彼は高校・大学時代の同級生、F。あだ名は哲哉( 彼の名前ではない )。高校時代からめっちゃオシャレな奴で、「 よくこんなモサい斉藤と今まで親友やってこれたよな(←妻曰く) 」っていうぐらい。外見は完全に小室哲哉さんそっくり。妻は本名覚えられないんで、いつも小室さん、小室さんって呼んでました。
そんな彼が某地元アパレルメーカーの部長職を蹴ってまで、カフェをやりたかったのか?と恐る恐る聞いてみると「 昔から夢だった 」という。
「 昔から夢だったカフェ 」ヤヴァい感じのキーワードではありますが、とりあえず頑張れF!
退職したいサラリーマンが、脱サラして足を突っ込みがちなのが飲食店でしょう。女の人も、「 OLを辞めて喫茶店を経営するのが夢 」というようなのはありがちな話。しかしながら、個人事業主として飲食店をやる大変さはサラリーマンどころじゃないことを、覚悟しておくほうがいいです。
脱サラして年収が2倍で勝ち組宣言
首都近郊で個人経営の焼き鳥屋を営むKさんは、ごく普通のサラリーマンから飲食店に修業に入り、2000年に40歳代で独立して現在の店をスタートさせた張本人。開業後3年は業績が良く、ピーク時の年収は1000万円にまで上がっていったという。
「 もう笑いが止まらなかった、職場の人間関係や、嫌な上司から離れられただけでなく、年収もサラリーマン時代の2倍近くになっていた 」噂をどこから聞きつけたのか、疎遠になっていた友人・知人たちは連日彼の店を訪れたという。
客層の多くは近隣の某大企業の工場に勤める人や、その下請け業者たちだ。1年を通して客足はかなり多かったという。
Kさんが当時を振り返る。
「 思い切って脱サラして、子供のころから夢だった飲食店をやれてよかったと思っている。私には子供が2人いますが、そうであっても十分生活していけるだけの余裕はあり、年に何回も家族旅行に行っていました 」
景気に影響されやすい飲食業の恐怖
ところがリーマンショックによって、彼の将来設計は大きく砕け散ってしまう。会社のお金で飲み食いする人達が激減し、ついには主要客だった某企業が工場撤退を決定したのだ。下請け業者の倒産も相次ぎ、店の経営もかなり危ない状態となってしまったという。
「 それからしばらくは細々ですが、何とかやっていけていたのが不思議なぐらいです。しかし、東日本大震災で消費が落ち込んでさらに追い込まれてしまった 」
とうとう昨年の年収が約260万円になってしまったKさん。家族の恒例行事だった旅行も、今では年1回あるかないか。小遣いも月5万円からゼロになってしまった。
「 今はとにかくお金を使わない。友人たちと飲みにいくこともゼロになりました 」。金の切れ目が縁の切れ目とよく言ったもので、親しくしていた友人たちはKさんの元を去っていったという。「 あれほどチヤホヤされていたのに、金がなくなった瞬間みんな去っていきましたよ 」でも、Kさんに悲壮感はあまり感じられないのは何故だろうか。
「 私たちはもっとも景気に左右される職業なので、世の中が良くならないと、自分が頑張っても埒があかない。子供の学費など不安はありますが、将来のことは何も見えてこない。目の前の日々を細々と生きていくだけ 」Kさんのように覚悟のうえでやればいいが、甘い読みで手を出すと痛い目にあいそうですね。

