兵庫県で転職支援をしている斉藤です。
先日、東京出張に行った際、生まれて初めて新幹線に乗り遅れました。
東京駅近郊の老舗喫茶店でついつい寝込んでしまったのです。関西の喫茶店なら即「 兄さん!ここは寝る場所やないで! 」と店主からお叱りを受けるところなのですが、東京の喫茶店は
優しかった
1時間寝てても誰も起こしてくれなかった東京の喫茶店は正に想定外でした。
この5年間を振り返ってみて想定外だったことがもうひとつ。長年勤めていた会社からリストラされてしまったことでしょうか?
物語はリストラされる更に5年前にさかのぼります。私は前職に採用された当初から、在庫管理と原価計算のプロとして約5億円ある仕掛品の管理を全て任されていました。
管理といっても、在庫そのものの管理は現場が行うわけなのですが、現場職員に管理方法を指示したり、仕掛品の定期的な廃棄を促したり、在庫管理システムを構築したりといった非常に有意義な毎日を送っていました。
その有意義な毎日が壊れたのはリーマンショックが起こった2008年頃だったと記憶しています。こともあろうに、経理統括部長が不正経理を行い始めたのです。しかも私が管理している5億円もの仕掛品を使って。
最初は5万円・10万円といった大したことのない額でした。故に私が証拠隠滅のために行う労力もほんの少しで済みました。当時は管理部全員で、いかにこの状況から抜け出すか?必死で考えていたので、多少なら…という思いがありました。
しかし残念なことに、次第に不正経理の額が大きくなっていったのです。いかにこの状況から抜け出すか?と上層部が考えた結果が不正経理でした。一度甘い汁を吸ってしまったら戻れないという典型的な例ではないでしょうか?
いくら作っても赤字になる製品の即時製造停止を何度も訴えましたが、聞いてはもらえませんでした。
そしてその額は10万が100万になり、100万が1,000万になっていきました。私が証拠隠滅のためにかける労力もハンパなく膨れ上がっていきました。しかも月初の仕掛品金額集計の真っ只中に口頭で指令が出されるのです。
決して証拠は残さない統括部長
正義感だけは人一番強いのがうちの家系の誇れる一面であり、やっかいな性格をもってしまったなと思う一面でもありました。私は
趣味仲間を通じて本店へ内部告発する行為に出ました
本店としても当時、綺麗にそろえられた財務諸表に不信感を抱いていたようで、密かに東京へ呼ばれ、今までに行ったこともない高級料亭で本店の幹部相手に、事を洗いざらいぶちまけました。
それからの私は水面下で、本店のために働く日々が始まりました。手を加える前の財務諸表を本店に送り続けました。不正経理の手法を全て暴露しました。
リストラされるちょうど1年前、工場ぐるみの不正を確信した本店の幹部が次々に乗り込んでくるようになりました。工程の鬼課長から始まり、生粋の経理マンである経理部長、最後には社長の右腕と噂されていた女本部長までもが工場駐在として乗り込んできました。
これで地獄は終わる
私はそう確信していました。
しかし、不正経理を実質封じ込まれた経理統括部長は、人事部長と結託してあろうことか人員整理を始めたのです。まずは派遣社員と契約社員から、次に直接雇用のパート社員とアルバイト。
そして社員への退職勧告
プロパー社員を何よりも大切にして、血(出身学校)を守ろうとした工場の上層部は、中途採用であった我々をターゲットに退職勧告を始めました。
そんな会社に嫌気がさしてプロパー社員のベテランまでが退職勧告に応じ始め、それを必死で食い止めようとする上層部
ああ、もうこの会社はダメだなと思ったのは
花形工程の正社員全員が退職勧告に自ら手を上げ、工程自体が完全に止まってしまったこと
私自身、本店の人事部長から安全を保障されていましたが、中途採用の私もターゲットにされてしまい日々追い出し部屋に呼ばれる毎日が始まりました。
忙しくて仕方ないのに「 君の仕事はもうない 」と言われる日々
本店からは毎日のように「 絶対に負けるな!春になれば我々が東京に必ず異動させる 」という励ましのメールが届いてきましたが、仲間であった派遣社員やパートさんがターゲットにされた時点で心が折れていました。
40代からの転職が失敗して絶望する前に正しい戦略と戦術を学んでみませんか?
自分たちの意に反して再就職を強いられた方々には、様々なストーリーがありますね。
特に40代から上の中高年は、愛社精神を持った方がほとんどなので本当に辛いです。