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この記事「その1「出会いのきっかけ」」でも書きましたが、当時多くの女性から文通希望の手紙を頂きました。
実は私は中学生の頃から、文通を数人の女性としていましたので、それまでに貰った手紙と合わせると、段ボール箱一箱分ほどになりました。
これは私の思い出の品であり、大切な物でした。
前妻が初めて実家に遊びに来た時の事です。
「私が送った手紙とか取ってあるの?」
と聞くので、私は、
「あるよ」
と言って、段ボールを指差しました。
前妻は段ボール箱の中身を見て、驚愕し、怒りに震えた声で私にこう言いました。
「何で、他の女の手紙まで取ってあんだよ!」
「え?だって思い出の品じゃんか」
「しかも、私の手紙もごちゃまぜになってるし!ねえ、今すぐ他の女から貰った手紙は捨ててよ!」
「は?何で?嫌だよ」
「私だって、あんたと付き合った時に、前の彼氏との思い出の品を全部捨てたんだから、あんたも捨ててよ!」
※ちなみに私が捨てろと指示したわけではありません。本人が勝手にした事です。
カップルにしても、夫婦にしても、理想的な愛の示し方は、見返りを求めない無私の愛だと私は思います。
無私の愛とは、通常母親が乳幼児に抱く愛の事です。
母親は子供の為に多くを尽くしますが、子供から何か見返りを求めようとしているわけではありません。
ただ愛しているから、相手が求めている事をしたいと願っているのです。
一方見返りを求める愛と言うものもあります。
見返りを求める愛とは以下のものです。
「私が愛したんだから、あなたも愛してよ」
「私がこれだけ尽くしたんだから、その分あなたも愛してよ」
と言った類の愛です。
前妻の、
「自分だって捨てたんだから、あなたも捨ててよ」
と言う台詞は、見返りを求める愛であり、今であれば危険な思考の持ち主であると分かるのですが、当時の私には分からず、大好きな君が捨てたんだったら、嫌だけど自分も捨てるよ。と結論し、全ての思い出の品を捨てました。
この手の人生のリセットは、これを含め数回この後も強行されました。
私はこの人生のリセットをされる度に、それまでの友達を失い、配偶者に,より強く依存していく事となります。