個人的には「良いことがあるから死なないほうがいい」とは思わないけど「まだ死ぬのはもったいないからもう少し生きといたほうがいい」とは思いますね。
わたしも小学生の頃は先生とも生徒ともうまくいかず、挙げ句の果てには小6でクラス全員から帰れコールまでされて転校した経験があります。
当たり前のように、中学生の頃も誰ともうまくいかずに不登校。
そのあとは保健室登校などをしながら卒業だけして、大検(現在の高卒認定試験)で何とかかんとか騙し騙し人生を切り開いていき、バイトなどをやりながら占いの学校に行って、ほうほうのていで今ここにたどり着いた感じです。
一般の人って、だいたい「小学校は普通に真面目に登校し、中学校も普通に真面目に登校し、内申点をしっかり取り、高校はできれば公立。部活動にも励み、友達を作り、感動的な卒業式を経て、大学はなるべく現役で国立に入る。そして車の免許を取り、20歳になったら昔の友達と成人式に出席して、背伸びしてお酒なんか飲んじゃったりしてね。そのあとは何の挫折もせずに普通に一般企業に入り、会社を辞めるなら普通は3年は働いてから。なぜなら3年は働かないと良いところも悪いところも分かりませんものね」みたいな、わけのわからないレールを敷いてるじゃないですか?
このレールからほんの少しでも外れたら即落ちこぼれ判定を下され、二度と復活はできず、やり直すこともできず、死ぬまで何のチャンスもありませーん!みたいなレール。
このレールって、わたしからしたら「ばっかじゃないの!」とすら思います。
「普通、普通」って、本当にうるさい。
わたしなんか小学校も中学校も高校も、どれもこれもちゃんと卒業式にすら出席していないし、誰ともうまくやってこられなかったけれど、今はちゃんと自立して生きてます(同居人には助けてもらってますが。笑)
「普通はこうだから」「普通はこうだから」と、親も教師も「普通、普通」って、どの目線の「普通」なんだよ?って思います。
まあ学校の先生は同時に何百人も相手しなきゃいけないから、うまく馴染めないたった1人の子のためだけに動くわけにはいかないんでしょうけれど、親は「自分の子供が普通」と思わなきゃいけないんじゃないかな。
ものすごく追い詰められているのに、あまつさえ謎の「普通」なんて押し付けられたら、子供からしたら「やっぱり自分は普通じゃない人間なんだ…先生も友達も親もみんな自分のことなんて嫌いなんだ…この世には誰も味方なんかいないんだ…」となって、死を選ぶしかなくなりますよ。
学校なんか行きたくなければ行かなきゃいい。
場合によっては、子供は学校に行かない勇気、親は学校に行かせない勇気が必要ですね。
そして、子供の話をよく聴いてあげてほしい。
今時フリースクールもあるし、そもそも色々な道はあるでしょう。
子供が追い詰められていたら、話を聴いてほかの道を教えてあげるのが大人の仕事であって、追い詰め続けるのが仕事ではないはずです。
最悪、わたしが占いを教えてあげるので、10代で占い師デビューしてもいいんじゃないですか?(笑)
教師も親も、基本的には「普通であることが正義」と思いがちだし、いくら年は取っても未熟な部分もあるから、子供を知らず知らずのうちに追い詰めてしまうこともあると思う。
だけど、電車に飛び込んでしまったり、屋上から飛び降りてしまう子供を救うためには、その「普通は」という言葉をやめて、追い詰められてる心に寄り添ってほしいものです。
もしこのブログを読んでいて、なおかつ追い詰められてる若い子がいたら、死ぬくらいなら占い師目指してからでも遅くはないぞ!と言っておきます(笑)